[Tunes on Air]
#1 夢先案内人 / eico
#2 タイム・トラベル / 原田真二
#3 木綿のハンカチーフ / en-Ray
#4 中央フリーウェイ / かとうあすか
#5 蘇州夜曲 / Ann Sally
#6 Owari No Kisetsu / Rei Harakami
#7 土埃 / 首里フジコ
#8 Typhoon / Port Of Notes
私が生まれる前から カラダの細胞に組み込まれている
感応のシステムがあるように感じている私はこの色を見ると 理由も分からずとても うれしくなる・・・私はあの声を聴くと 理由も分からず 寂しい気持ちになる・・・私の細胞は こうやって見えない何かに感応して私のカラダにアクセスして何かを思いださせようとしている細胞レベルで感じている何かにを 刺激する出会いや、出来事に何度も何度も 向き合い、ループするウロボロスの輪の時空間に私は何を見つけようとしてるのかしらあなたと 何を見つけようとしているのかしら命のプログラミングは今日もこれからも ずっと続いていく(rie)
東方から来た生命の種は神蛇の依代として男性に憑依し、女性と合体して中央の母の胎に胎児としておさまる。
人の種は、元来、東から西へ動いてきたものである。だから、人の胎児は東から渡来した余勢を駆って、さらに西方に生まれ出よう。
夕べごとに太陽は西へ落ちるが、それは翌朝、東に新生するためである。
[ ミソギ / 身殺ぎ ]
身に着けたものを身から外し取ってゆくこと。おそらく蛇の脱皮の擬きであろう。
神話の成文期にはすでに「ケガレ」の観念が確立し、祭式も整えられ、「御禊」の字があてられており、そこに見られるものは新生と脱皮の両面をかねた呪術である。
蛇は脱皮によって生命を更新する。脱皮しなければ生存できないから、蛇は脱皮に全力を集中する。
[ カガミ / 蛇身・蛇目 ]
「カガ」は「ヘビ」の古語。「カガミ」とは、蛇身を連想させるツタ植物の総称であり、脱皮によって更新された蛇目の呪力に満ちた輝きは「鏡」へと転じた。
縄文人の蛇への反応は、第一にその「形態」に対して、第二にその毒の「強さ」や「生命力の旺盛さ」に対してであって、それらは相乗効果をもって蛇を祖先神にまで崇めていったのである。
弥生人のような稲作民族にとって、男根を連想させる形態をもつ蛇は、縄文人に勝るとも劣らない信仰の対象になっていたと思われる。男根 → 種神 → 蛇 → 稲の実りと続く連想はきわめて自然な筋道である。
古代日本人にとって、すでに生命の源は男根から放射される精液中の微小な虫として捉えられていたに相違なく、「カガミ」の舟に乗って現世に顕現し国津神・大国主神に宿った少彦名神は種神・生命の源・精虫の象徴であって、その神格化ではなかったろうか。また、渦巻き状を呈する蛇のトグロを巻く姿は女性の象徴である陰門を想起させる。要するに、蛇は「性」そのものと言える。
[ ハフ / 這ふ ] [ イハフ / 祝ふ ]
『古語拾遺』(807年)に「大蛇をハハといふ」とあるように、蛇の古語「カカ」は子音転換して「ハハ」に移行したのであろう。「ハフ虫の災い」といった表現が祝詞の中にも見られるように、「這う」に接頭語「イ」を伴った「祝う」の語源には蛇との関連性を充分に感じることが出来る。
”蛇の生態の中でも、その脱皮ほど彼らに脅威の念を与えたものはなく、自らの殻から出てはこもり、こもっては出て生命の更新をはかるその脱皮の作用を通して、古代日本人は宇宙万象の輪廻転生の実相を把握したのではなかろうか。
その結果、天象としては太陽の運行、地象としては植物の枯死再生をもすべて、こもりと顕現のくり返しであると観じ、このくり返しによってはじめて永生と新生が保証される、との認識を得たのである。この「こもりと顕現」の認識は中国哲学、陰陽五行思想の受け入れを容易にした。”〜『日本の蛇信仰』吉野裕子
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アメリカ・インディアンによれば白いマニトゥ「生の主」と 黒いマニトゥ「死の主」は双子で月の女神に子宮から同時に生まれた。この月の女神は「決して死ぬ事の無い老婆」と呼ばれ、全ての神々と男の真の支配者であった。(バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典』より)
ひょっとしたら、月は地球と双子の連星だったのかも知れない。
ほんのわずか条件が整わず惑星になり損ねた衛星は、寡黙で不毛ではあるけれど、遠く私たちを周回しながら 生命の律動を深く司り、地球の奇跡は月とのコラボレートがあればこそ起こり得たのでしょう。
月の輝きの神秘さは、そんな秘められた生い立ちのせいなのかも知れないと思う。生命を宿す事なく生み分かたれたそれは、けれど美しく、まるで 心を透明にして見つめた時の鏡のように、目に映る姿だけではなく 私たちの命や魂の輪郭をも投影しているように感じるのです。
豊かな水と光の下で生まれ育ち 繁栄の中で生を営む事の幸せは尊いけれど、それは魂の本質のすべてではないような気がします。輝きの来し方行方をもっと深く遠くまで見渡せるように、200万光年まで届く眼力を私たちは授かっているのですから。
[月の誕生] via:宇宙情報センター
1. 兄弟説:
原始惑星系円盤中で、塵(ちり)が集まって地球とともに月がつくられたという説。
2. 親子説:
地球の誕生直後、地球の自転は現在よりも高速だったので、遠心力によって原始地球の一部がちぎれて月がつくられたという説。
3. 他人説:
地球の近くを通過した小天体が、地球の重力によって捕らえられて月となったという説。
4. 巨大衝突(ジャイアント・インパクト)説:
原始地球に小天体が衝突し、地球や小天体の破片が集まって月がつくられたという説。
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『ユーコの蒼い夜』
#1 予感
寝室のナオトはもう寝息を、いつもながら平穏な重低音で、響かせていたのでドアをそっと、閉めた。私は描きかけのデッサンをもう一息で仕上げようとしている。足元をリリィが、白い尾を擦り寄せながら通り過ぎ、窓に寄せた小さな棚の上、私の蒼い石に飛び乗って丸くなった。夏至に近い満月は地球を最も近く周回し、今や日付変更線を通り越し天頂を、過ぎて、西向きの私の窓辺に光線を下ろしている。深い夜は好きだ。増幅された魂がゆらいでいる。この宇宙はゆらぎから相転移して弾けて生まれた、その残響が今夜も聞こえる。遠いのか、近いのか、内なのか外なのか、おそらくリリィもそれを聞いている。予感、とはそういう類のものなのだ。予感を頼りに人は命を運び、作家は言葉を紡ぎ私は、線を引き色を乗せ画を描く。朝までに下絵を仕上げて週明けのミーティングに、心を準備しよう。編集者からの〆切はいつも期限の一週間前を指定している、それはもちろん承知している。予感、の解読に十分な時間を私は費やしたいのだ。原稿をスキャンする、電源が入らない。あぁまたリリィだ。ケーブルを辿る私を素知らぬ顔でリリィが眺めている、どうしてネコは愚にもつかないものばかり齧るのか。仕方がない、お月見がてらコンビニまで歩こう、FAXを送りに。まだ起きているだろう担当者にメールをすると直ぐに了解と気さくな返信が届いた、続けて鳴ったアラートはマリからのいつもの深夜通信だった、新しいバンドでレコーディングするからイラストを添えてくれないかと。マリはいつも私の予感を鋭敏に察知する。わかったよ、お月見しながら考えておくね。
#2 輪郭
リリィが抱え込んだ蒼いペンダントヘッドを、取り上げて、胸に結び、デッサンのファイルを抱えて私は部屋を出た。満月は高く君臨し、輝度を保って建物の輪郭を極めている、レースのカーディガン越しに風が湿度を忍ばせて夏の、予感がたちこめる。スニーカーを久しぶりに履いた。装備は身軽に、ポーチをアミダに掛けて。あっ鍵を忘れた。マンションのエントランスはオートロックでナオトを無粋に呼び起こすのは、酷だ、月の夜を楽しもう。私はいつも何かが、足りない。要するに私は自信がないのだ、いや根拠のない自信ならある、ずっとそうだった。夜毎マリと語り明かしたのはその不確かな自信をせめて、衝動に置き換えて手繰り寄せようとする実験のような季節だった。マリは、歌い手で、私は絵を描く。モノを生む為に我が身に宿される何か、について私たちはいつも遠回りな方法で確かめ合っていた、私は、宿すことを怖いと感じている、それを認めたくないのだけれど自分ではないモノを懐胎する度に魂は異界へ、連れ去られるのだ、それは覚悟を私に突きつける。月は足下に、陰を描かない、夜は私を安心させる。私の魂は輪郭が曖昧だから黒い声がときおり忍び寄る、今夜も、神社を横切れば近いけれど足が向かない、街灯が暗いせいではない、界を結ぶ隠然とした重力に私の何かが抗うのだ。広い空を求めて公園まで足を伸ばしベンチに腰を下ろした。習慣のように携帯を開く、つもりがポーチの中にそれが無い、やっ忘れた。満月は手放すのにうってつけの日。うっかりが過ぎる自分を慰めよう。
#3 衝動
蒼白い満月は左から3本目の梢へと傾きながらメタリックな雲のホワイトにドロップシャドウを施している、なんだかCGみたいだ私なら鉛筆モードで、などと、妄想する癖を私は嫌いではない、物心つくよりも先に描き始めていたことを誇りにすら思っている。見えているもの、とアリノママとは互いに異次元の国に住む。その橋渡しなのだと思う、私にとって描くことは。タンッ、とベンチが小さく揺れて身構えた。ネコだった。精悍な子だ。白く嫋やかなリリィに見慣れているからそう思うのだろうか、モノクロの虎柄は斜辺の丸い直角三角形のシルエットで私を見つめている、リリィのような目で。あぁそうなの?キミもこの蒼い石が好きなの?当てもなくノートを広げスプーンのようなふたつの耳や零れた星の軌跡のような髭や署名のように添えられた尻尾などをデッサンする、いつだって唐突に脈絡もなく連想は線を結び像を描く、そうだ私はいつも描いていた、なんでも何にでも、描きなぐっていた。絶叫のような白い声がいつも突然訪れて、強大な力で、私を突き流すのだ見知らぬ畔へ、連れ去られて呆然と、ここは何処なのか私は誰なのか、描くことでせめて生の鼓動を確かめるのだった。衝動、という語を大人になって知ったけれどその正体は今も知らない。ネコは不意に身構えて横顔を低く一点に集中させた。そうだきっと私はあんな目をしているんだ、外ではなく内へ向けて、口数の少ないお絵描き好きという幻影のウラ側で獰猛な白い牙に、魘されているのだ。何を見つけたの?行ってらっしゃい。ネコは暗闇を駆けて行った、真直ぐに、全速力で、あの子には何が見えているんだろう。覚悟、なのかも知れない、生きることは自分を拠り所にする以外に座標がないのだから。
#4 瞑想
ネコは何かを咥えて戻ってきた。獲物を、わざわざ私の視界に運んでチャラリと落とし、抱えるように丸くなった、誇らしげに。ちょっと何それ?誰かの鍵じゃない。数珠のような石がキーホルダーに付いていた。見せて頂戴、と拾おうとすると再び咥えて歩き出す。逃げるのかと思うと、そのまま芝生の縁でコチラを誘うようにふり返っている。仕方がない付き合うかと腰を上げネコに従うと、植え込みの向こう、平らかに開けた芝の中央あたり、蓮華座に座る人影があってハッとした。いつからそこにいたのだろう。気配、を抑えて私はその背中に見入った。神社の黒い結界とは対称的に、彼の瞑想は蒼い月の下で繭のように守られた抱擁を、白く放っていた。雲の影が彼を避けるように芝を渡った。もしかしたらこんな風に呼吸だけにフォーカスされた楽園が私の中心にもあって、白い声を放射しているのかも知れない。それは特別なことではなく彼もきっと、あの声が聞こえているのだと思う。風が立って、瞑想の結界を破るようにネコが走った、対角に芝を駆け抜け、中心の蓮華座に鍵を投下し、奇襲された男は左回りに体を開いて滑らかにネコの軌跡を追った。その視線を導くように、最初に戻って私の手前でネコは伏せた。通り雨のようなシークエンスが去って、清められた沈黙が彼とネコと私を結んだ。彼は私の視線に、驚かず、月を見上げた。さっきより湿度を宿した白い月だった。
#5 邂逅
ただそれだけの出来事だった。彼の声もネコの寝所も私は、知らない。一瞬の目配せだったけれど、同じ月を見上げたことをきっと私は生まれ変わっても覚えているだろう。邂逅、とはこの宇宙を織り成す無数の糸と糸の紡ぎ目なのだと思う。私たちはそれぞれに孤独だけれども連鎖している、手探りだけれど、ときおり雷光が地平を照らす瞬間があってそれを頼りに人は暗闇を走るのだ。コンビニで要を足して外へ出ると、空が光って、雨がぽつりと降り出した。帰りは濡れても構わない、ナオトを起こそう。ユーコは本当に雨女だなぁと笑うだろう。マリには勇気と出逢った話をしよう、どうせまたアバンチュールを逃したと呆れられるのだろうけど。
(文 / モトカ)編集工学研究所 30破 アリス大賞受賞作品
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七夕伝説
天の帝の娘、織姫は、
子どもの頃から外にも出ず機織りに明け暮れる仕事熱心な娘でした。
織姫の折った布は、それはそれは美しく、
五色に光り輝いて、季節が変わるごとにいろどりまで変わるという特別な品でした。
それを皆が愛でるのが嬉しくて、
織姫はまたせっせと機を織り続けるのでした。
けれど、織姫は年頃になっても化粧をせず、
自分の身なりにも構わず機織りに明け暮れているので、
「このままでは嫁にも行けぬ」と心配した帝は、
天の川の向こう岸で牛の世話をする、働き者の彦星へ嫁がせることにしたのです。
織姫と彦星はお互いに一目で好きになり、とても仲の良い夫婦になりました。
ところが、
女性としての歓びに目覚めた織姫は、あれだけ熱心だった機織りを全くしなくなって行き、
働き者の彦星も、飼っていた牛に餌もやらなくなくなって畑の作物も枯れ果ててしまったのです。
見かねた帝は、
「このまま放っておくワケにはなるまい」と
二人を天の川のムコウとコチラへ引き離すことにしました。
互いに姿をみることも叶わなくなって、
織姫は毎日を泣き暮らし、
彦星は家に閉じこもってしまいました。
困った帝は
「おまえたちが前のように毎日まじめに働くのなら、一年に一度だけふたりが会うのを許そう」
と二人に告げたのです。
織姫と彦星は心を入れ替えて、
年に一度の逢瀬を楽しみに、まじめに働き始めました。
織姫はまえにもまして美しい機を織り、
彦星の牛はすっかり元気を取り戻して、畑には豊かな作物が実るようになったのです。
大切なものを守りたくて、侵略者と戦う夢を見た。私は怒りに身を委ね、武器を取り、おぞましいほどの残忍さで敵を叩きのめした。ゆるやかに意識を取り戻すと、
風が部屋を渡って、魂が連れ去られそうに感じた。
醒めたばかりの夢の、血塗られた生々しい記憶が蘇って、我が身の底の凶暴を呪った。夜明けの晩の闇の底で、心があたかい脈を取り戻すまで、強く背中を抱いて欲しいと願った。・・・・・・・・・・・・・闇は 光の母だと聞いた。日が立って音となり、その音が門に宿されて闇となるのだ、と。初め、宇宙は闇だった。闇から音が零れ光が生まれた。けれど、科学には光の後しか語れない。だから、人は闇を恐れるのだ、と。・・・・・・・・・・・・・さて 光は正義なのか?光には、闇の恐怖を救えない。何故なら光は背中に影をつくる。そして、偽りと真を同じ地平に映しだす。光に見える闇、闇に見える光。恐怖とは、光によって演出された幻想なのだ。それはしばしば闇の姿で訪れる。夜明けの晩の闇の底で、真っすぐに見据える眼の力を勇気と呼ぼう。光を語る者には用心せよ。火を配る者には警戒せよ。正しい闇へ避難せよ。力ある水を巡らせよ。光と闇オトコとオンナ左と右知識と智慧島と海種と土光も闇も、愛の内側。意図して愛に背かない限りは。
西洋音楽がリズムとメロディで成り立っているように、
能は拍子と節で成り立っています。
リズムというのは、今の時点で存在しない未来をあらかじめ決めてしまうことです。
対して、「今」を刻むのが拍子です。
メロディが絶対的なら、節は相対的。
鞠つき歌の本来の姿は、鞠の弾みに合わせて歌を歌うことです。
鞠つき歌をどう歌うかは、鞠が決めているのです。(『あわいの力』安田登)