2014/04/29

鞠つき唄は鞠が唄う

秩序がなくても平和はなり立つ


りえ)
 この間、縄文と弥生の違いは何?と聞かれたときに、縄文は秩序がない状態ですがみんなピース(平和)だった。
 猪子寿之さんという人が「秩序がなくてもピース(平和)は成り立つ」と言っていて、デジタルアートに日本の良さのようなものを流し込んでいる方なんです。猪子さんの作品て、文化伝統に愛をもってうまく作品に表現している。四季折々の当たり前の美しさを感じさせるんです。

モトカ)

 どんな作品なの?

りえ)
 大和絵や絵画を3Dに作って、一見普通の大和絵に見えるんですがそれが動くので空間に奥行きが有るんです。昔の人は世界がこう見えていたんだろうなっていう、秩序が無いように見えるんですがピースがあるという感じ。最近一番好きな人なんですよー。猪子さん格好いいなーと。というか結婚したい! (笑)


鞠つき唄は鞠が唄う


りえ)
 日本の美しさを感じる心って、儚さとか、壊れてなくなるものとか、見えない物とか、不思議な第六感で感じている物へ美しさを感じているんじゃないかなと思うんです。独特ですよね。

モトカ)
 そう言えばりえちゃん「言霊」のことをブログに書いていたでしょう?
 「音」が持つ力って私も興味があって、今日は本を持って来たの。安田登さんの『あわいの力』。能楽師さんが書いたの。能って、異界と現実の狭間の物語を描いていて、舞台の構造自体がそうなっているんだって。楽屋から能舞台までの間は橋が架かっていて、そこをわたる事が異界と現実との狭間を渡るという演出を兼ねているんだね。 

りえ)
 深いな〜。美しいですね。

モトカ)
 能には基本的に2人の演者がいて、主役の「シテ」と脇役の「ワキ」。。
 「ワキ」はたいてい旅人の設定で、物語の中で出逢う相手が「シテ」。そして「シテ」が異界をおろしてくる。「ワキ」は異界へ導くナビゲゲーター役割で、観客は「ワキ」が舞台上で体験する事を通して異界に誘われるという。

りえ)
 面白いですね! 世界感がありますよね日本の文芸には。
 『古事記』とかもそうですけど、美しさを表現するときに、あの世とのこの世を行き来するという設定が深みを出してているんでしょうか。

モトカ)
 「ワキ」はね、「何か欠落を抱えて人生を漂泊する人」なんだって。
 欠落感が有るから恋いこがれる。欠落状態があるから埋めようとする。「物乞い」「雨乞い」と「恋」は同じルーツなんだね。

りえ)
 あははは 深いですね本当に!

モトカ)
 でね、「音」の話なんだけどさ。音楽の3要素ってあるでしょ?「メロディー」と「和音」と『リズム」。それについてこんな事が書いてあったの。

西洋音楽がリズムとメロディで成り立っているように、
能は拍子と節で成り立っています。
リズムというのは、今の時点で存在しない未来をあらかじめ決めてしまうことです。
対して、「今」を刻むのが拍子です。
メロディが絶対的なら、節は相対的。
鞠つき歌の本来の姿は、鞠の弾みに合わせて歌を歌うことです。
鞠つき歌をどう歌うかは、鞠が決めているのです。(『あわいの力』安田登)

 リズムって、テンポが決まると次の発音のタイミングが自動的に決まるでしょ。つまり、最初の音がでたら、まだ存在しない次の未来を決めてしまう。それに対して日本の「拍子」って、あくまで今を刻むんだって。
 鞠つき唄ってあるでしょう? それは、鞠の弾みに合わせて歌を唄うこと。 

りえ)
 なるほど〜!
 なんかそれすごい異界な感じですね。むこうから誘われている感じしますね!「今、ここ」なんですね、ニッポンの表現は常に。


モトカ)
 ということは、ちょっと拡大解釈なのかもしれないけれど、もしかしたら日本人は「未来」ということをあまり考えていないのかも知れないね。いい意味で「成り行き」というか。

りえ)
 出たとこ勝負が得意なんでしょうかね?(笑)


モトカ)
 そうんなんだと思うの。
 私たちの日本の文化、精神性において「未来」っていう概念が無いとしたら、これすごいことなんだけどね、「恐怖」っていうのを持たないことになるんだよね。 あるいは、壊れることまで丸ごと受け入れているというか、そういうタイム感覚ってぶっ飛んでるよね。

りえ)
 ぶっ飛んでますね、優雅とも言いがたいなぁ〜ちょっと超越していますよね。時間の概念が。




いのち」は息、「こころ」は音


モトカ)
 「いのち」という言葉もね、「息の精」から来てるらしい。息(いき)の霊(ち)。
 おろち/大蛇。いかづち/雷。血。乳。「ち」は「蠢く霊力」や「強い霊性」を表すんだって。

りえ)
 素敵な意味合いですね! 

モトカ)
 ハワイの「アロハ」も、「ハ」は「息」のことなんだってね。日本の文化と同じ匂いがする。

りえ)
 そうですね、言葉に思いを込めている。

モトカ)
 鞠つき歌もそうだけど、身体の感覚ってその時々のリアルタイムな感覚。「こころ」っていう言葉も心臓の鼓動音が語源だと言われてる。「ココロ、ココロ、ココロ」って。
 心臓の鼓動は3拍子なんだね。「トクトクトク」じゃなくて「トクン、トクン」。だからね、馬にしろ四つ足なのに3拍子で走るでしょ?「パカパカパカ」じゃなくて「パカラ、パカラ」って。

りえ)
 そうか!なんか心地いいですよね、3拍子の音楽。

モトカ)
 だから今の8beatや16beatの音楽って、もともと持ってるビートと違うから覚醒するらしいんだよね。

りえ)
 確かに! 

モトカ)
 それでね、身体はそういう時々の感覚をリアルタイムに感じるのに対して、心の作用、喜怒哀楽とか感情を含めて、それは時間が生んだ。だから心と身体を行き来するっていうのは、能が異界を行き来するのと同じような出来事なんだね。
 身体への意識が薄くなると、肌への意識も薄くなる。形有る物としての自分の輪郭が曖昧になるんだね。その輪郭を取り戻して再確認するのにもっともふさわしいのが、要するにSEXだということなんだね。

りえ)
 う〜〜ん!なるほど〜。

モトカ)
 それで先週の話を戻してくると、そういった異界と異界を繋げるっていうことをあえて儀式的に繋げていくっていうのが「巫女」だっていう話に繋がって来る。
 一方で、その異界との曖昧な境界との繋がりに最もなじまないのが「文字」なんだって。確かに文字にすることによって輪郭はハッキリするんだけど、多次元的な意味合いを限定してしまう。そういう意味で「言霊」っていうのは呪術的な力がでるという話なんだね。言葉として、文字ではなくて音の側面。

りえ)
 日本の美しい詩や童謡とかって、音を大事にしていますものね。

モトカ)

 私たち羽ラジで、言葉の巫女的な、シャーマン的なことができるかしら?
 皆さんだまされて下さい♪
りえ)
 大丈夫です、十分だませますよ、私たちなら。(笑)
  



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#1 Crave You / Flight Facilities feat. Giselle
#2 Let's Live Forever, Love / Roman Andrén
#3 Anohito (He) / Lemongrass
#4 Ribbon In The Sky / Soul Bossa Trio
#5 ふつうの唄 / 山根麻衣

羽ラジ

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2014/04/22

男根力と母系社会



前回に引き続いて、縄文の郷からのレポートです。
縄文晩期の土偶が出土した里山「ブルーベリーガーデン旭」小宮真一郎さんにお話を伺って参りました。 












蛇信仰

___「蛇信仰」のことをお伺いできますか?

 蛇は1日かけて交尾をするそうなんです。両性、陰と陽、男女の和合、性の強さへの憧れを人々が持ちました。尊敬から来る蛇への信仰というんでしょうか。縄文の性というのは全く今と違う要素を沢山持っていたと思うんですね。
 土器は蛇がモチーフになっているんです。


___日本の文化をちょっと掘り下げてみると、蛇がメタファー(暗喩)になっているものが多いですね。
 例えば伊勢神宮外宮の宇賀神の形状はとぐろを巻いた蛇。お茶の「茶(ちゃ)」は「蛇(じゃ)」であるという説もあって、茶室の躙り口(にじりぐち)を躙り入る様は蛇の姿を模したものだとか。


 奈良の三輪神社も山の蛇がとぐろを巻いたものだということですし、浅野神社も諏訪大社なんかもそうでうすね、やっぱり縄文から続くような古い神社などでは蛇に対する信仰が非常に残っています。
 要するに、弥生の稲作や渡来系文化ではなく縄文からの伝統だと私は感じています。 


___この山田村には蛇はでますか?

 ヤマカガシとシマヘビは出るんですけどマムシは見たことないですね。蛇はよく見ると可愛いもので、よく小さい頃は首に巻いてました。今思うと蛇に対する思いが元々あったということですね。やはり縄文のDNAがそうさせたのかも知れませんね。(笑)
 蛇は男女の関係の象徴と言いました。男は男らしく、女性は女性らしく、おそらく男性は女性を徹底的に愛したんだと思いますね。そういう性文化があったんじゃないかなと思います。


___もともと日本の性文化はおおらかだったと聞きます。

 ですよね。
 田舎の風習を遡ると、夜這いだったり盆踊りなんかは、もともとは乱交に繋がるものだったとありますしね。 

___そういう性文化はかなり近年まで残っていたようですね。

 農村では男根が神社に飾られていたりしますから、縄文のそういう部分を残していたと思うんですよね。やはり土器に描かれている蛇とか、縄文の欠かせない大きなキーワードだと痛切に感じます。
 蛇に対する憧れ、目合ひ(まぐわい)も含めて生命力の強さ、それに対する畏敬の念があったと思いますね。 




男根力と母系社会

___ちょっと今「縄文」ということがややブームに流れて一人歩きししまっているように感じています。

 う〜ん、ちょっと表面的というかね。
 でもそれはそれで、いいと思うんです。例えばどんぐり食を普及したり、戦さがなかった縄文時代はどんな精神構造だったか、もっとあまり表に出されないものを理解していくとさらに深みが出てできますね。
 ただ、今の一般常識からはあまりにかけ離れていて想像できない世界のような気がするんですよ。全身男根みたいな人は日本中にはあまりいないですしね。(笑)


___色気が溢れる方だったんですね、縄文の人は。

 そうですね、男性的色気と言いますか。蛇信仰に繋がるような、男性的な男根力。その男性が一人いれば、女性10人が幸せになってしまうぐらいの男性力。男は男らしくあった時代。反面、女性は母性。土偶はほとんど女性の母性を表した作品が多い。
 だから現代の人々とはもう相当かけ離れてしまって想像が難しくなって来ているのかな。でも今若い人たちが縄文の価値観とかに気付きはじめてムーブメントと言いますか、この先どうなって行くのか分からない日本に縄文の価値観を取り入れて、新しい形で提案して行くという。それが私の周りでもいくつもありまして、それはやっぱりすばらしいことだなと思いますね。


___「男性性」ということがネガティブに受け止められてしまうことの一つが、やっぱり「争い」なんだろうと思います。「縄文的男性性」ってどんなもだったのでしょう? 

 それは、すばらしい視点だと思います。男性性の概念、ベクトル、視点が違っているんですよね。
 今の男性性というのは、権力とか名誉とか地位。縄文の男性性というのは、全身男根。戦さというよりも、女性を愛し自然を愛し、母性のようなものも含まれていた。女性と男性が愛し合っていれば、世の中戦さは起こらないと思います。
 そこまで含めて「男根力」というのを縄文のテーマとして皆様に提案したいと思っています。


___コミュニティーのあり方も「母系社会」だったことが大きいと思います。一妻多夫制で「家」という概念が無かったのでしょうね。子供が生まれても「うちの子」という概念が全く無かったように思います。

 そうですね。子供が生まれたら村全体で育てるとか。非常に感性に正直と言いますか。さっきの「情熱」の話とも繋がると思うんですが、今とは違う母系社会があった。
 若い男女が親になって育てるよりも、長老とか年配者にはいろんな知識も経験もあるのでそういう人に育ててもらった方が良いという、共通認識のようなものが村として共同体としてあったような気がするんですよね。子供は自分だけの責任ではない、村がしっかり育て上げようという考え方ですね。 


___「村」という言葉が出ましたが、「村」というコミュニティーのあり方は縄文的だと思われますか?
 何が言いたいのかというと、縄文的精神性を研究していくと、コミュニティーということ以前に一人一人がダイレクトに宇宙と繋がっているという精神性があった。つまり「縄文」は個人主義だった。

 そうですね。個人個人が主役であり、直接宇宙と繋がるような壮大なスケール感の中で生きていたと思います。その集合体が「村」であった。今のような「組織」ではなく、一人一人が尊厳なる宇宙を内包する存在で、活き活きと自分を瞬間的に生きながら集っているという空間。上下関係が無かった。
 ただ、長老とか経験がある人は尊敬されていたと思うんですよね。シャーマンであるとか。そういう人たちは一目置かれていたと思いますけど、「権威」ではなて「尊敬」という、そんな「村」の形だったんじゃないかな。
 だから、今の日本社会ではあまり個性を出すのがよろしくないような風潮ありますけれど、縄文の村はそうではなかったと思うんですね。それぞれ得意なことをやりきっていた。そこに豊かな性文化もあり、自然に対する畏敬の念もあり、激しい情熱もあったり。そんな時代だったんじゃないかと思うんです。 



遊女の母性

___縄文時代は今よりも人口が少なくて、つまり人類が成長局面にあったということですよね。だから性に対してのおおらかさも、そうでなければ成長できなかったのでしょうね。そうしてみると、今の現代社会は肥大し過ぎているように感じます。

 そうですよね。人口もこれだけ多くなってますし、自然を破壊しながら人が住む空間を作り出す必要性もあります。


___現代においては、そんな縄文の良さをどう取り入れて行ったらいいんでしょう?

 価値観を全く元に戻すというのは今の常識とかけ離れてしまっています。その中で、より良い接点、落ち着く場所というのがどこかにあるはずだと思うんです。
 今、男女共同参画とか平等とかいわれる中で、やはり男性は男性で女性は女性で輝いていた良い部分を参考にしながら、今に活かすことがこれからの課題でしょうね。今の社会は女性が進出して、それは良いんですけれど、女性性を殺しての進出が多々見られるような気がします。


___そうですよね。今の社会では男女の性差が無い方が経済的な要求を満たしますし、成果を得るためにはそうせざるを得ない状況になっています。

 世の中の戦争、戦乱が未だに終らないというのは、成果がないということじゃないかと思いますけどね。
 やっぱり女性は子宮を持っていて、自然の声をより聞く能力がある。縄文の男性は、女性の巫女性や感受性を理解し尊敬して敬っていたと思うんですね。
 卑弥呼の時代もそうですけど、卑弥呼は巫女的な仕事をして実際の政治活動は周りの男性が執り行って、卑弥呼は神託とか自然からの声を聞く状態を保つのが男性の役目だった。琉球国もそうです。国王が女性の巫女性を尊敬し、その声を聞きながら国の政治をやっていた。縄文ではそれが普通で主流だったんです。 


___「縄文」が今あらためて注目されてるというのは、そういう部分が大きいのでしょうね。

 私はそう思います。 
 「戦さが何故なかったのか?」と先ずみなさん言われますが、そこで男女の性文化まで見ない方が多いんです。男女の関わり合い、性文化は非常に大きいと思います。日本が引き継いでいる伝統文化のように私は感じています。
 女性らしさとは「巫女」であり、遊女的な部分だと思うんです。


___「遊女」とはどういうことでしょう?

 「遊女」というのはね、今の価値観で言うと色んな男性を相手にするという、ちょっと虐げられた差別のように思われがちなんですが、非常に母性が強い「観音様」というものと隣り合わせだと思うんです。
 私は遊郭には行ったことがないのですが、自分の好みではない男性さえも懐に抱けるというのはやはり「母性」ではないかと思うんですね。それにはもちろんお金というものがつきまとっては来るんでしょうけど。
 『古事記』の国譲りの時にも、征服してくる人々を最前戦で受け止めていたのは巫女や遊女達であったとあります。男同士の、攻めて来る側、受け止める側ということではやはりいざこざが起こる中で、受け入れる側の最前線に女性がいて交わっていくというのは深い意味があると感じます。
 実際、国王が神殿にいる巫女と交わることで自分では得られない情報を得ていたと聞きます。そういう文化があったようです。今は「巫女」というと、神社で純潔の人が白装束でというそんなイメージがありますけれど、縄文や昔を遡っていきますと「巫女」と「遊女」は非常に共通性がある。国譲りの時の「巫女」と「遊女」は大きな要素を担っていたと考えられます。


___「男性性と女性性」とは、言い換えれば「包容力と受容力」なのでしょうか?

 良い言葉ですね。そういうことかも知れませんね。世界が宇宙的な要素で、陰と陽が和合するということが全て潤滑に回るポイントだと思うんです。
 だから「縄文」のデーマとして、やっぱり男女の和合を掘り下げた所に戦さが無かった理由などが的確に掴めるんじゃないのか思います。男女が幸せに暮らした結果に、戦さがなかった。お互いが充足すれば戦さは起きないですからね。
 今の常識と価値観の中で、そこをどういうバランスで参考にしながら構築していくのかがこれからの社会のデーマじゃないでしょうか。戻る訳にはいかないですからね。


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  #1 All Things Must Pass / 中納良恵+星野 源
#2 Feel Like Making Love / Kyrsten
#3 Lovers Rock / Sade
#4 Everybody Had a Hard Year / März
#5 黄土高原 / 坂本龍一
#6 ロビンソン / Cifa
#7 Upswing / Flakjakt
#8 Lady of the Sunshine / Lady of the Sunshine

羽ラジ

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りえ)
 蛇信仰の話から、遊女や巫女のことに繋がって行くんですねー。

モトカ)
 男女の根源的な部分の話だよね。
 セクシャリティやジェンダーのあり方は、今とは違ってそのまま社会のあり方に直結していたってことだよね。

りえ)
 陰と陽がありのままだったということですね。

モトカ)
 陰と陽って言えば「知識」と「知恵」ってまさに男性性と女性性の関係だと思うの。
 字で書くと「識る」と「恵み」の違いなんだけど。

りえ)
「知識」は持っていないものを取り入れるという感じ、
「知恵」はもともと持っているものという感じがします。

モトカ)
 うん、「知恵」は授かり物なんだろうね。
 でもそれはともすると非科学的な扱いをされたりする。気まぐれで捉えどころの無い有機体、みたいな。
 だからその曖昧さを飼い馴らす必要がある。分析して、解析して、合理的に体系づけて、管理して、それでようやく 「知恵」は「知識」に変換される。

りえ)
 なるほど。
「知識」ってたしかに「知恵」よりも科学的な気がします。

モトカ)
 そうだよね。科学の恩恵ってそういうことなんだと思う。
 「知恵」は「知識」へ変換されると扱いやすくなる。
 誰にでも分かりやすく、素早く、間違いなく伝えることができるようになるから、 地球上の津々浦々にまでもれなく届けられて、そこで再生産される。
 それって植物がタネを作って風に乗せて飛ばすのと似てると思わない?

りえ)
 あー、知識はタネ、ってことですか?

モトカ)
 うん。
 この世界のあらゆる森羅万象を情報として整理整頓して遠くまで運んでも壊れないような形に落とし込むっていう作業は、まさに男性が自分のDNAをタネに宿すのと同じだよね。

りえ)
 そう考えると、タネを作るって大事な作業ですよねー。

モトカ)
 うん。
 一方で、そのタネを土に還して花を開かせる作業も大切だよね。

りえ)
 それが「知恵」ってことですね!

モトカ)
 うん。まさに女性性の側面だと思わない?
 知識と知恵、男性性と女性性、両方があって一つの環になる。それで命は巡って行くんだよね。

りえ)
 陰と陽、両方が大事ですね。

モトカ)
 うん。どっちも欠けちゃいけないよね。 
 
 

2014/04/15

日本について そもそもの話。

今週は、
神奈川県大井町の縄文の郷『ブルーベリーガーデン旭』にお邪魔して
園主の小宮真一郎さんにお話を伺って参りました。



鎮守の森

 以前一度農園の取材を受けた事がありましたね。

___2007年の「山田村夏祭り」の時でした。それがあったからやっぱり小宮さんにご挨拶しないと筋が通らないなと思って。(笑)
 今回あらためお邪魔したのは「今なぜ縄文なのか?」ということを伺おうと思ったんです。311のような大きな出来事があって皆それぞれにいろいろ考えるようになって、今の日本で起こっている問題の本質を掘り下げて行くと、そのルーツとして縄文に行き着いてしまう。


 そうですね。やっぱり日本の持っている独特な自然共生文化というのが大きいと思います。
 私は3年前から「鎮守の森」を作ろうということで植樹をやっているんですよ。今のように木を切ってしまう西洋的価値観の公園ではなくて、「鎮守の森」は1000年も人が手を加えない。
 そうすると例えばこの関東だと常緑の鬱蒼とした森になりますので、ある意味ちょっと薄気味悪い何かが居るような空間なんですけど、そこにあえて人が手を加えない。そういう、自然の森をただ守るだけではなくて、何かが棲んでいるとか森自体が神聖な物であるというような感覚は「縄文」から続いている文化だと思いましてね。
 日本人が元々もっている自然に対する畏れであるとか、そういうものを取り戻すという意味においても「鎮守の森」は非常に大きな役割を果たすのではないかな。




命は激しい

___そういう感覚は、失われてもなお残って行くたくましさがあるように感じます。

 そうですね。私はそう思います。
 「縄文」は平和で戦さがなく自然と共生して仲良く暮らしていたという反面、激しさがあったと思うんですよ。たとえば祭りであるとか火焔土器とか、良く眺めますと瞬間に命を燃やす激しさを感じるんですよね。やっぱり「弥生」と違う。
 それは「縄文」を語る上で欠いてはならないものじゃないかなと思うようになりました。その中に、男根であるとか蛇信仰という部分に行き着くように思います。


___今は「女性性の時代」と言われて久しいのですが、一方で例えば消費社会は女性性のダークサイドであると私は思うんです。つまり、今呼び覚ますべきはむしろ「正当な男性性」だったりするのではないかと思ったりもしています。

 なるほど。
 当時は狩猟の文化であり、男性は命がけで狩りをした。平均寿命も短い中で、より自然の中で、肉体を使った生き様の中で、男性は男性らしく女性は女性らしく、男女が個性を活かして協力しないと生きて行けなかった。そういう時代の要請があったと思うんですね。 
 ブータンは未だに家に男根が描かれていたり、ちょっと独特な古い性文化とか性風俗がまだ残っている。日本の農村も、明治の廃仏毀釈とか国家統一化以前には残っていた。縄文時代は今とは全く違う男女の関わり合いや性に対する思いがあると感じています。



縄文は消えたのか?

___そうした文化は弥生以降失われたのでしょうか?

 それは民族的な事に関わっていると思います。
 うちで出土した土偶は2400年前のものでもう弥生に入っているんですけど、稲作が入ってきた中で縄文の文化は日本の国土から排斥され追いやられ消え去って行ったんじゃないでしょうか。稲作を持ち込んだ民族と、稲作を取り入れなかったアテルイ・ヒタカミの東北の民。やっぱり民族的な価値観の違いというのは非常に大きいと思います。
 結果的にはそうして主流を占めた、悪く言うと征服、統一してしまったという流れが、この日本の歴史と国土文化の中に有ると思うんです。


___縄文を調べて行くとそういう話に行き着きますね。「そもそも日本とは何ぞや?」と。

 まぁ、そういうことになってしまうんですけど…。
 ただ『古事記』の国譲りの話を見ても分かるように、日本はそのように戦って抵抗するのではなくて受け入れて和合して行ったという側面もあったと思うんですよね。「縄文」というのは歴史では表向き消え去っているように見えるんですけれど、根底には和合の中で生き続けているのではないでしょうか。







土偶と里山

___土偶が発掘された家系にお生まれになって、小宮さんにとって「縄文」とはどんなものなのでしょうか?

 家に土偶が出たことを、小学校時代は不気味な物として捉えていました。ずっと家の中にあったのでちょっと怖いイメージがあったんです。造形的にも何か呪術的な感じで、実際に幼児の骨も入っていたことを子供の頃から知っていましたから。
 長じて20歳以後になって、特に知り合いの芸術家の皆さんが本物の土偶を見たときに本当に感動されて。その姿を見て「あぁ、ここは、、」とあらためて自分のルーツやこの土地の個性を感じるようになりました。自分は貴重な所に生まれたんだなぁ、と人によって気づかされたと言うか。 


___土偶は重要文化財に指定されているそうですね? 

 そうなんです。
 ちょっと調べましたら、今国宝は4点、重要文化財が16点、合わせて20点しかない中で自宅保存は2点だけなんです。
 若い頃は「早く博物館に預けてしまえばいいんじゃないか」と思っていたんです。その方がみんなが見れると思っていましたから。
 最近は、土偶の見学会を実家でやることで、出土した場所に直接足を踏み込んでいただいて見てもらっています。土偶が出土した2400年前の里山も眺める、そしてその遥か向こうに海が見える。晴れると伊豆七島のうち3つ4つ見えましてね。これは贅沢と言うんですか、究極であるなと思います。2400年前に生きていた人の雰囲気とか空気、息吹というのが、出土地点に立つと何となく感じられるんですよね。
 それで、見たい人が見る物かなという思いも大分出てきました。皆さん色々な感想が有りますけど、これもこれでいいのかなと。


___この辺りはすごい土地だったんですね。

 2400年前っていうと、日本全国で7〜9万人くらいだったんですよ。住んでない所には全然住んでいない中で、この辺だと秦野の出雲大社がある平沢と、うちの実家がある所くらいだったんですね。人々が住みたいから住んでいたという土地だったんでしょうね。
 風水においても良い場所だったのでしょうけど、海はもう少し近かったと思いますし、選んで住んでいたというのは凄いことです。戦さがあったり権謀術数が渦巻いた土地って、それはそれで感じるじゃないですか。うちは比較的そういうのがあまり感じられない。長く人が住んでいる村だと思うんですね。
 それは、辿って行くとやっぱり「縄文」の価値観、人々の暮らしの思い、平和、そういうものに行き着いてしまうと思うんですよね。


___土地が平和だから平和に暮らしたのでしょうか?人々が平和だったから平和な土地なのでしょうか?

 それは鶏と卵みたいなものだと思うんですけれど、両方あると思うんです。
 2400年前をピンポイントでみますと、その当時の人は宇宙的なスケールの視野を持ちながら、土地に対する感受性、イヤシロチという言葉が有りますけれど、そういうものを感受する能力が長けていたのではないかと思います。そういう感受性で住む場所を決めていたと思うんです。 


___そういう感覚は呼び戻せるでしょうか?

 現代社会のこの早い流れだと忘れてしまいがちだと思うんですけど、例えばうちの村でもイヤシロチと言われる神社とかにゆっくり足を踏み入れた時に思い出すんじゃないかと思うんです。
 やっぱり日本人には縄文的な和合の価値観が眠っている気がしています。


つづく

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  #1 You're Always There For Me / Choro Azul
#2 My Boat / Melissa Laveaux
#3 Ventilador Rumba-80 / Ojos de Brujo
#4 嘉徳なべ加那節 / 朝崎郁恵
#5 Moon River / Cassandra Willson
#6 Ushasu / Bali

#7 緑の風景 / 渡辺貞夫 

羽ラジ

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 [コラム]

 ちょっと前から、特に311の後、
 「縄文」ということがジワジワとブームのようなことになっています。
 それは、ただ自分探しや流行ということではなくて、
 今の時代の閉塞感をブレイクするための武器を求めてのことではないかと感じています。
 「知恵」という武器 = 縄文の叡智。
 
 そもそも日本の社会はいつから始まったのかと掘り下げて行くと、
 大和朝廷のルーツは弥生時代にまで遡り、その前はもう「縄文」しかありません。
 このことを言い換えて極論するなら、
 日本の歴史は縄文と縄文以後しかないということになるでしょう。
 
 さて、
 「弥生」が日本にもたらしたものは大きく5つあるとされています。
  稲作。戦争。上下関係。伝染病。犬食い。
 稲作を行うには共同体が不可欠ですから、組織が出来て上下関係が生じます。
 そして、稲作に限らず農耕は土地に線を引くことになりますから、
 出来たものの蓄えが集落ごとの格差となって争いのタネとなります。
 また、
 縄文の遺跡において犬は埋葬されたであろう形で出土するのに対して、
 弥生期以降は足だけが発掘されるなど、調理され食された痕跡を伺わせます。
 つまり「弥生」という文化は、
 もともとの縄文日本には無い、外から入って来た違う文化であると言えるでしょう。
 
 一方で、
 「弥生」に無くて「縄文」にあったものを上げるとすれば、
 平和、共生、自律、多様性、宇宙意識、といったキーワードを並べることが出来ます。
 多様な個性が争うこと無く共生していた多次元的な社会。
 今となっては想像するしかありませんが、
 そうした縄文的理想郷のイメージこそ、私たちがこれから築くべき社会を示唆するように思えてなりません。モトカ
 
 

2014/04/08

小田原で旧石器発見!?

りえ)
 刃物って人類最古の道具ですよね。石器とか。
モトカ)
 そうなのよね。
 この辺でも発掘されたりしてないかと思って、図書館に行って調べてみた。そしたら何と明治時代に旧石器らしきモノが小田原で発掘されていた。


 ニール・ゴードン・マンローは、北海道旅行でアイヌの風俗や文化に触れ、アイヌに深い興味を抱き、彼らが用いる木工品の彫り文様と、縄文土器に施された模様の共通点に注目した。そしてアイヌこそ縄文人の子孫なのではないかと考える。  マンローはこの仮説を証明しようと、横浜根岸競馬場付近貝塚、小田原の酒匂川・早川流域、横浜三ツ沢貝塚の3ヵ所を精力的に調査する。  とりわけマンローが「旧石器文化がきっと眠っているだろう」と目をつけたのが他ならぬ小田原辺の酒匂川流域段丘部だったのである。その結果1905年(明治38年)、今日では旧石器と断定できないまでも、その見込があると思われるいくつかの資料を採集することに成功した。   〜『神奈川県史』通史編1 (1981) より

りえ)
 わー!
 小田原で旧石器が出たんですね!
モトカ)
 うん。
 ところがその続きにはこう書いてある。



 横浜に戻ったマンローは、さっそくこのことを雑誌に発表した。 しかし、当時の学界では誰もそんな彼の話に耳を傾けなかった。歴史好きのマニアが勝手な空想をしている、外人だからそんな奇想天外なことを考えるのだ、くらいにみられていたのである。マンローの大発見はこうして世間から完全に無視され、日の目をみることがなく終わってしまった。
 今日、その旧石器なるものの真偽は、資料が失われてしまったために、確かめるよしもない。1972年(昭和47年)になって神奈川県が県史をまとめることになり、あらためてマンローの旧石器の行方をさがしたときの結論である。
 無為に流れ去ってしまった歳月は酒匂川の段丘でマンローが石片を手にしたという地点を特定することを不可能にしてしまった。

りえ)
 あらら、、お蔵入りですか、、?
モトカ)
 うん。残念ながらね。
 マンローが発掘した石片自体は、いま同志社大学で保管されているらしいんだけど、発掘した場所を特定したりするデータが散逸してしまっていて学術的に認められるための条件が整わないみたい。
りえ)
 そうは言っても、旧石器って日本でも発掘されてますよね。
モトカ)
 昭和21年に群馬県の岩宿っていうところで初めて発見された。
 日本列島にも旧石器の文化があったって証明された画期的な発掘だったんだけど、マンローの小田原での発掘は、明治38年だから、それより40年も前だった。
 小田原は世界的に有名になるチャンスを逃したってことよね。
りえ)
 あぁぁ、なんだ、そうだったんだぁ、、、

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モトカ)
 さっき、小田原で旧石器らしきものが発掘された話を紹介したんだけど、実は私、自分で紹介しておきながら、それちょっと疑っているのよね。
りえ)
 え、そうなんですか?
モトカ)
 うん。
 旧石器時代の後、縄文時代には今よりも海がずっと内陸まで進入してたらしいんだよね。
 だから、マンロー博士がどこで発掘したのか分からないけど、仮に石器があったとしても、それは長いこと海の底だった可能性がある。




 およそ5700〜5300年前の縄文前期、大磯丘陵以外の場所、東京湾沿岸では、海が陸地に最も奥まで侵入していた。 羽根尾貝塚の人々は住居の前の潟にすむヤマトシジミ、魚や水鳥などを食料とし、時に相模湾の沿岸へ行きダンベイキサゴやベンケイガイ、サトウガイなどの貝を多く採取していた。
 酒匂川と狩川によってつくられた扇状の足柄平野は、他の平野と比べて至って急傾斜となっていて、縄文の海はあまり奥まで入っていない。平野の東端を流れる森戸川沿いでは、およそ3km奥の小田原市田島付近までが入江となっていた。足柄平野の大部分は海岸からおよそ3km入った小田原市高田と飯泉を結んだ線付近までが海となっていて、平野の西端にあたる小田原旧市内では、史跡小田原城の内堀がちょうど当時の海岸線となっていた。
 このような出入りの激しい複雑な海岸線をもつ入江が各地に形成された原因は、最終氷期最寒冷期以降のおよそ1万5000年前から始まった地球温暖化に伴う海面の急激な上昇によってもたらされた。
  〜『有隣 No.446』より

10130279835


モトカ)
 私たちが住んでるこの地域は、今とは相当違う様相を呈していたってことよね。

りえ)
 そうかぁ。
 じゃ、小田原っていつからあったんでしょうね?

モトカ)
 「小田原」っていう地名が登場したのは、文献によると11世紀くらいからみたいで、大江公資(おおえきみより)っていう平安時代の官僚が、今の小田原のほぼ南半分に「早河荘(ハヤカワノショウ)」っていう荘園を開いた。
 それかららしい。


 地名「小田原」の由来 
1. こゆるぎ説
 「こゆるぎ / 小由留木」の草書体を「小田原」と読み間違えたという説。
2. 波多野氏の支城説
 平将門を討伐した藤原秀郷の子孫・佐伯経範が1030年頃に秦野に移り住んで波多野氏を名乗り、後に支流として松田氏・渋沢氏・河村氏・栢山氏・大友氏・沼田氏などが出て、現在の秦野市・松田町・山北町、南足柄市、小田原市の一部に一族の勢力を伸ばした。一族の居館波多野城のあった田原の、その支城として「小田原」が設置されたという説。
3. アイヌ語説
 オタ=砂地・湿地、パラ=広い場所。広い砂地の湿地帯、または崩壊地形を背後にした扇状地。


りえ)
 アイヌ語ですかー。
 でも、アイヌって北海道の人っていうイメージです。
モトカ)
 うん。
 私もそう思ってたんだけど、今回マンロー博士のことを調べていてハッとしたことがあるの。
 つまりね、「縄文」っていうのはどうも「アイヌ」のことだったみたいなんだよね。
りえ)
 たしかにアイヌの人たちの木工品の彫り文様と、縄文の土器の模様って似てますよね。
モトカ)
 そうなんだよね。
 マンローもそのことに興味を惹かれて、後半生は北海道に移り住んでアイヌの文化に分け入って研究を重ねたんだって。
りえ)
 そのアイヌ人が縄文人だとしたら、先住民としてこの辺にも住んでたってことなんでしょうかねぇ?
モトカ)
 うーん、DNAまで調べて研究してるらしいんだけど、どっちとも結論づけることは出来ないみたいだね。
 でも、DNA的にはどうであれ文化としてはとても近いようには感じるよね。彫り文様とかだけじゃなくて精神性とか。
りえ)
 話が尽きなくなりそうです。
モトカ)
 そうだね。
 ちょっと来週はマイク持ってロケに行ってみようか!
りえ)
 良いデスね!行きましょー!!
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#1 Crossroads / Calm
#2 Habla Mi Corazon / Lemongrass
#3 Theme / Berliner Ring
#4 Bossa Suave / Cabano
#5 The Whistle Song / FPM
#6 Into My Life / エレメンツ・オブ・ライフ
#7 Beauty and The Beast / 手嶌 葵
羽ラジ

2014/04/01

「羽」と「ラジカセ」



【 羽 】 
一般には矢羽根や飛行機の翼のことをもいうが、動物学的には羽毛のこと。羽毛は鳥類特有の表皮の変形物で、鳥の体の表面をおおい、また風切羽および尾羽となっている。羽毛の主な機能は体温の保持と飛翔のためであるが、そのほか皮膚の保護、ディスプレーや種の認識などのためにも役だつ。羽毛には正羽(せいう)、綿羽(わたばね・めんう)、半綿羽(はんめんう)、糸状羽(しじょうう)、粉綿羽(ふんめんう)などの種類があり、飛翔と皮膚の保護にあたるのは正羽で、綿羽と半綿羽は体温の保持に役だつ。
(世界大百科事典より) 
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モトカ)
 鳥の羽って、最初から空を飛ぶために出来たんじゃないんだね。
 体を守るために羽という形のモノが生まれて、それが進化の途中で、それこそ「空を飛ぶぞ〜!」って思ったときになって初めて飛翔のためのツールとして転用された
りえ)
 思えば叶うんですね〜!

モトカ)
 うん。
 そう考えると、ホントに「羽」っていろんな意味で象徴的なアイテムなんだなぁって思う。

りえ)
 「羽」というコトバからはいろいろなイメージが膨らみます。
 空を飛ぶということなら冒険のイメージ、羽衣のように身に纏えば、なにか物語が広がりそうだし、ネイティブアメリカンのドリームキャッチャーとかを思えば呪術的な感じもするし。





「風の谷」
モトカ)
 「羽」のつく地名は、古代の飛行場だったという説もあるね。
 小田原にも羽根尾という所があって、古墳時代の横穴式のお墓が見つかっていて、土師器(はじき)と呼ばれる弥生式の素焼きの土器やら勾玉やらが発掘されてるらしい。
りえ)
 先進文明を下ろしてくる場所だったんでしょうか。
 この地域では大雄山にも天狗がいますけど、天狗は宇宙人だったという話も聞いたことがあります。
地球に先進文明を授けた、というような。
モトカ)
 以前、加藤市長がこの足柄平野のことを「風の谷」って表現してた。ナウシカの。
 今こうやって羽の地名だとか天狗の伝説だとかを含めてあらためて考えてみると、まさにこの土地は宇宙から見たら滑走路に見えるかも知れないね。富士山がちょうど目印にもなるし。




着地する羽
りえ)
 「飛ぶ」っていうことから連想ゲームを広げると、たとえば「空」とか。
モトカ)
 「空」もあらためて辞書を調べるといろいろな意味があるよね。
 「大空」っていう意味だけじゃなくて、「クウ」と読めば空っぽも空しさだったり、「ソラで覚えてる」とかって言えば、連想ゲーム的には「記憶」って話に展開して行く。
りえ)
 あー。
 どんどん広がって行きますね。記憶、過去、前世、、、
モトカ)
 「飛ぶ」っていうことは、そうやってどこか違う次元に飛び立つっていう旅立ちの物語だけじゃなくて、その先ではどこかに着陸するっていうアプローチだったりもするんだよね。
りえ)
 そしたらそこでシート広げてラジカセのスイッチを入れる、と ♪
モトカ)
 そうだね〜。
 スマホじゃなくてラジカセっていうところがミソなのよ。(笑)
りえ)
 アナログというかレトロというか、、
モトカ)
 あえてアナログなアイテムを引っ張りだして「ラジカセ」って言ってるのは、五感とか、肉体的な感覚とか感性とか、そういうチャンネルでのコミュニケーションをイメージしてる。
りえ)
 痛いとか、熱いとか、気持ちイイとか。
モトカ)
 そうそう。
ラジオもこうやって肉声の体温というか、何かメッセージを伝えることって、意味内容だけじゃなくて、そこに纏っている空気感みたいなものも込みで人に伝わっていくワケだしね。
 そんなこんなをラジオを通してみなさんとシェアして行こうという、『羽のラジカセ』はそんなことを考えてスタートしました。

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  #1 Birds Fly Away / Theresa Andersson
  #2 Songbird / Eva Cassidy 
#3 One Day I'll Fly way / Nills Landgren & Joe Sample
  #4 Necta (Butterfly) / Sashamon
  #5 (They Long To Be) Close To You / paris match
  #6 Butterfly / Corinne Bailey Rae
  #7 Bull In the Birdhouse / CAPUCHIN
  #8 Butterfly / NATION OF THE MULTIVERSE feat. Monday Michiru
  #9 Fly Like A Bird / Calm presents K.F.

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