2014/04/22

男根力と母系社会



前回に引き続いて、縄文の郷からのレポートです。
縄文晩期の土偶が出土した里山「ブルーベリーガーデン旭」小宮真一郎さんにお話を伺って参りました。 












蛇信仰

___「蛇信仰」のことをお伺いできますか?

 蛇は1日かけて交尾をするそうなんです。両性、陰と陽、男女の和合、性の強さへの憧れを人々が持ちました。尊敬から来る蛇への信仰というんでしょうか。縄文の性というのは全く今と違う要素を沢山持っていたと思うんですね。
 土器は蛇がモチーフになっているんです。


___日本の文化をちょっと掘り下げてみると、蛇がメタファー(暗喩)になっているものが多いですね。
 例えば伊勢神宮外宮の宇賀神の形状はとぐろを巻いた蛇。お茶の「茶(ちゃ)」は「蛇(じゃ)」であるという説もあって、茶室の躙り口(にじりぐち)を躙り入る様は蛇の姿を模したものだとか。


 奈良の三輪神社も山の蛇がとぐろを巻いたものだということですし、浅野神社も諏訪大社なんかもそうでうすね、やっぱり縄文から続くような古い神社などでは蛇に対する信仰が非常に残っています。
 要するに、弥生の稲作や渡来系文化ではなく縄文からの伝統だと私は感じています。 


___この山田村には蛇はでますか?

 ヤマカガシとシマヘビは出るんですけどマムシは見たことないですね。蛇はよく見ると可愛いもので、よく小さい頃は首に巻いてました。今思うと蛇に対する思いが元々あったということですね。やはり縄文のDNAがそうさせたのかも知れませんね。(笑)
 蛇は男女の関係の象徴と言いました。男は男らしく、女性は女性らしく、おそらく男性は女性を徹底的に愛したんだと思いますね。そういう性文化があったんじゃないかなと思います。


___もともと日本の性文化はおおらかだったと聞きます。

 ですよね。
 田舎の風習を遡ると、夜這いだったり盆踊りなんかは、もともとは乱交に繋がるものだったとありますしね。 

___そういう性文化はかなり近年まで残っていたようですね。

 農村では男根が神社に飾られていたりしますから、縄文のそういう部分を残していたと思うんですよね。やはり土器に描かれている蛇とか、縄文の欠かせない大きなキーワードだと痛切に感じます。
 蛇に対する憧れ、目合ひ(まぐわい)も含めて生命力の強さ、それに対する畏敬の念があったと思いますね。 




男根力と母系社会

___ちょっと今「縄文」ということがややブームに流れて一人歩きししまっているように感じています。

 う〜ん、ちょっと表面的というかね。
 でもそれはそれで、いいと思うんです。例えばどんぐり食を普及したり、戦さがなかった縄文時代はどんな精神構造だったか、もっとあまり表に出されないものを理解していくとさらに深みが出てできますね。
 ただ、今の一般常識からはあまりにかけ離れていて想像できない世界のような気がするんですよ。全身男根みたいな人は日本中にはあまりいないですしね。(笑)


___色気が溢れる方だったんですね、縄文の人は。

 そうですね、男性的色気と言いますか。蛇信仰に繋がるような、男性的な男根力。その男性が一人いれば、女性10人が幸せになってしまうぐらいの男性力。男は男らしくあった時代。反面、女性は母性。土偶はほとんど女性の母性を表した作品が多い。
 だから現代の人々とはもう相当かけ離れてしまって想像が難しくなって来ているのかな。でも今若い人たちが縄文の価値観とかに気付きはじめてムーブメントと言いますか、この先どうなって行くのか分からない日本に縄文の価値観を取り入れて、新しい形で提案して行くという。それが私の周りでもいくつもありまして、それはやっぱりすばらしいことだなと思いますね。


___「男性性」ということがネガティブに受け止められてしまうことの一つが、やっぱり「争い」なんだろうと思います。「縄文的男性性」ってどんなもだったのでしょう? 

 それは、すばらしい視点だと思います。男性性の概念、ベクトル、視点が違っているんですよね。
 今の男性性というのは、権力とか名誉とか地位。縄文の男性性というのは、全身男根。戦さというよりも、女性を愛し自然を愛し、母性のようなものも含まれていた。女性と男性が愛し合っていれば、世の中戦さは起こらないと思います。
 そこまで含めて「男根力」というのを縄文のテーマとして皆様に提案したいと思っています。


___コミュニティーのあり方も「母系社会」だったことが大きいと思います。一妻多夫制で「家」という概念が無かったのでしょうね。子供が生まれても「うちの子」という概念が全く無かったように思います。

 そうですね。子供が生まれたら村全体で育てるとか。非常に感性に正直と言いますか。さっきの「情熱」の話とも繋がると思うんですが、今とは違う母系社会があった。
 若い男女が親になって育てるよりも、長老とか年配者にはいろんな知識も経験もあるのでそういう人に育ててもらった方が良いという、共通認識のようなものが村として共同体としてあったような気がするんですよね。子供は自分だけの責任ではない、村がしっかり育て上げようという考え方ですね。 


___「村」という言葉が出ましたが、「村」というコミュニティーのあり方は縄文的だと思われますか?
 何が言いたいのかというと、縄文的精神性を研究していくと、コミュニティーということ以前に一人一人がダイレクトに宇宙と繋がっているという精神性があった。つまり「縄文」は個人主義だった。

 そうですね。個人個人が主役であり、直接宇宙と繋がるような壮大なスケール感の中で生きていたと思います。その集合体が「村」であった。今のような「組織」ではなく、一人一人が尊厳なる宇宙を内包する存在で、活き活きと自分を瞬間的に生きながら集っているという空間。上下関係が無かった。
 ただ、長老とか経験がある人は尊敬されていたと思うんですよね。シャーマンであるとか。そういう人たちは一目置かれていたと思いますけど、「権威」ではなて「尊敬」という、そんな「村」の形だったんじゃないかな。
 だから、今の日本社会ではあまり個性を出すのがよろしくないような風潮ありますけれど、縄文の村はそうではなかったと思うんですね。それぞれ得意なことをやりきっていた。そこに豊かな性文化もあり、自然に対する畏敬の念もあり、激しい情熱もあったり。そんな時代だったんじゃないかと思うんです。 



遊女の母性

___縄文時代は今よりも人口が少なくて、つまり人類が成長局面にあったということですよね。だから性に対してのおおらかさも、そうでなければ成長できなかったのでしょうね。そうしてみると、今の現代社会は肥大し過ぎているように感じます。

 そうですよね。人口もこれだけ多くなってますし、自然を破壊しながら人が住む空間を作り出す必要性もあります。


___現代においては、そんな縄文の良さをどう取り入れて行ったらいいんでしょう?

 価値観を全く元に戻すというのは今の常識とかけ離れてしまっています。その中で、より良い接点、落ち着く場所というのがどこかにあるはずだと思うんです。
 今、男女共同参画とか平等とかいわれる中で、やはり男性は男性で女性は女性で輝いていた良い部分を参考にしながら、今に活かすことがこれからの課題でしょうね。今の社会は女性が進出して、それは良いんですけれど、女性性を殺しての進出が多々見られるような気がします。


___そうですよね。今の社会では男女の性差が無い方が経済的な要求を満たしますし、成果を得るためにはそうせざるを得ない状況になっています。

 世の中の戦争、戦乱が未だに終らないというのは、成果がないということじゃないかと思いますけどね。
 やっぱり女性は子宮を持っていて、自然の声をより聞く能力がある。縄文の男性は、女性の巫女性や感受性を理解し尊敬して敬っていたと思うんですね。
 卑弥呼の時代もそうですけど、卑弥呼は巫女的な仕事をして実際の政治活動は周りの男性が執り行って、卑弥呼は神託とか自然からの声を聞く状態を保つのが男性の役目だった。琉球国もそうです。国王が女性の巫女性を尊敬し、その声を聞きながら国の政治をやっていた。縄文ではそれが普通で主流だったんです。 


___「縄文」が今あらためて注目されてるというのは、そういう部分が大きいのでしょうね。

 私はそう思います。 
 「戦さが何故なかったのか?」と先ずみなさん言われますが、そこで男女の性文化まで見ない方が多いんです。男女の関わり合い、性文化は非常に大きいと思います。日本が引き継いでいる伝統文化のように私は感じています。
 女性らしさとは「巫女」であり、遊女的な部分だと思うんです。


___「遊女」とはどういうことでしょう?

 「遊女」というのはね、今の価値観で言うと色んな男性を相手にするという、ちょっと虐げられた差別のように思われがちなんですが、非常に母性が強い「観音様」というものと隣り合わせだと思うんです。
 私は遊郭には行ったことがないのですが、自分の好みではない男性さえも懐に抱けるというのはやはり「母性」ではないかと思うんですね。それにはもちろんお金というものがつきまとっては来るんでしょうけど。
 『古事記』の国譲りの時にも、征服してくる人々を最前戦で受け止めていたのは巫女や遊女達であったとあります。男同士の、攻めて来る側、受け止める側ということではやはりいざこざが起こる中で、受け入れる側の最前線に女性がいて交わっていくというのは深い意味があると感じます。
 実際、国王が神殿にいる巫女と交わることで自分では得られない情報を得ていたと聞きます。そういう文化があったようです。今は「巫女」というと、神社で純潔の人が白装束でというそんなイメージがありますけれど、縄文や昔を遡っていきますと「巫女」と「遊女」は非常に共通性がある。国譲りの時の「巫女」と「遊女」は大きな要素を担っていたと考えられます。


___「男性性と女性性」とは、言い換えれば「包容力と受容力」なのでしょうか?

 良い言葉ですね。そういうことかも知れませんね。世界が宇宙的な要素で、陰と陽が和合するということが全て潤滑に回るポイントだと思うんです。
 だから「縄文」のデーマとして、やっぱり男女の和合を掘り下げた所に戦さが無かった理由などが的確に掴めるんじゃないのか思います。男女が幸せに暮らした結果に、戦さがなかった。お互いが充足すれば戦さは起きないですからね。
 今の常識と価値観の中で、そこをどういうバランスで参考にしながら構築していくのかがこれからの社会のデーマじゃないでしょうか。戻る訳にはいかないですからね。


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  #1 All Things Must Pass / 中納良恵+星野 源
#2 Feel Like Making Love / Kyrsten
#3 Lovers Rock / Sade
#4 Everybody Had a Hard Year / März
#5 黄土高原 / 坂本龍一
#6 ロビンソン / Cifa
#7 Upswing / Flakjakt
#8 Lady of the Sunshine / Lady of the Sunshine

羽ラジ

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りえ)
 蛇信仰の話から、遊女や巫女のことに繋がって行くんですねー。

モトカ)
 男女の根源的な部分の話だよね。
 セクシャリティやジェンダーのあり方は、今とは違ってそのまま社会のあり方に直結していたってことだよね。

りえ)
 陰と陽がありのままだったということですね。

モトカ)
 陰と陽って言えば「知識」と「知恵」ってまさに男性性と女性性の関係だと思うの。
 字で書くと「識る」と「恵み」の違いなんだけど。

りえ)
「知識」は持っていないものを取り入れるという感じ、
「知恵」はもともと持っているものという感じがします。

モトカ)
 うん、「知恵」は授かり物なんだろうね。
 でもそれはともすると非科学的な扱いをされたりする。気まぐれで捉えどころの無い有機体、みたいな。
 だからその曖昧さを飼い馴らす必要がある。分析して、解析して、合理的に体系づけて、管理して、それでようやく 「知恵」は「知識」に変換される。

りえ)
 なるほど。
「知識」ってたしかに「知恵」よりも科学的な気がします。

モトカ)
 そうだよね。科学の恩恵ってそういうことなんだと思う。
 「知恵」は「知識」へ変換されると扱いやすくなる。
 誰にでも分かりやすく、素早く、間違いなく伝えることができるようになるから、 地球上の津々浦々にまでもれなく届けられて、そこで再生産される。
 それって植物がタネを作って風に乗せて飛ばすのと似てると思わない?

りえ)
 あー、知識はタネ、ってことですか?

モトカ)
 うん。
 この世界のあらゆる森羅万象を情報として整理整頓して遠くまで運んでも壊れないような形に落とし込むっていう作業は、まさに男性が自分のDNAをタネに宿すのと同じだよね。

りえ)
 そう考えると、タネを作るって大事な作業ですよねー。

モトカ)
 うん。
 一方で、そのタネを土に還して花を開かせる作業も大切だよね。

りえ)
 それが「知恵」ってことですね!

モトカ)
 うん。まさに女性性の側面だと思わない?
 知識と知恵、男性性と女性性、両方があって一つの環になる。それで命は巡って行くんだよね。

りえ)
 陰と陽、両方が大事ですね。

モトカ)
 うん。どっちも欠けちゃいけないよね。 
 
 

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