今週は、
神奈川県大井町の縄文の郷『ブルーベリーガーデン旭』にお邪魔して
園主の小宮真一郎さんにお話を伺って参りました。
鎮守の森
以前一度農園の取材を受けた事がありましたね。
___2007年の「山田村夏祭り」の時でした。それがあったからやっぱり小宮さんにご挨拶しないと筋が通らないなと思って。(笑)
今回あらためお邪魔したのは「今なぜ縄文なのか?」ということを伺おうと思ったんです。311のような大きな出来事があって皆それぞれにいろいろ考えるようになって、今の日本で起こっている問題の本質を掘り下げて行くと、そのルーツとして縄文に行き着いてしまう。
そうですね。やっぱり日本の持っている独特な自然共生文化というのが大きいと思います。
私は3年前から「鎮守の森」を作ろうということで植樹をやっているんですよ。今のように木を切ってしまう西洋的価値観の公園ではなくて、「鎮守の森」は1000年も人が手を加えない。
そうすると例えばこの関東だと常緑の鬱蒼とした森になりますので、ある意味ちょっと薄気味悪い何かが居るような空間なんですけど、そこにあえて人が手を加えない。そういう、自然の森をただ守るだけではなくて、何かが棲んでいるとか森自体が神聖な物であるというような感覚は「縄文」から続いている文化だと思いましてね。
日本人が元々もっている自然に対する畏れであるとか、そういうものを取り戻すという意味においても「鎮守の森」は非常に大きな役割を果たすのではないかな。
命は激しい
___そういう感覚は、失われてもなお残って行くたくましさがあるように感じます。
そうですね。私はそう思います。
「縄文」は平和で戦さがなく自然と共生して仲良く暮らしていたという反面、激しさがあったと思うんですよ。たとえば祭りであるとか火焔土器とか、良く眺めますと瞬間に命を燃やす激しさを感じるんですよね。やっぱり「弥生」と違う。
それは「縄文」を語る上で欠いてはならないものじゃないかなと思うようになりました。その中に、男根であるとか蛇信仰という部分に行き着くように思います。
___今は「女性性の時代」と言われて久しいのですが、一方で例えば消費社会は女性性のダークサイドであると私は思うんです。つまり、今呼び覚ますべきはむしろ「正当な男性性」だったりするのではないかと思ったりもしています。
なるほど。
当時は狩猟の文化であり、男性は命がけで狩りをした。平均寿命も短い中で、より自然の中で、肉体を使った生き様の中で、男性は男性らしく女性は女性らしく、男女が個性を活かして協力しないと生きて行けなかった。そういう時代の要請があったと思うんですね。
ブータンは未だに家に男根が描かれていたり、ちょっと独特な古い性文化とか性風俗がまだ残っている。日本の農村も、明治の廃仏毀釈とか国家統一化以前には残っていた。縄文時代は今とは全く違う男女の関わり合いや性に対する思いがあると感じています。
縄文は消えたのか?
___そうした文化は弥生以降失われたのでしょうか?
それは民族的な事に関わっていると思います。
うちで出土した土偶は2400年前のものでもう弥生に入っているんですけど、稲作が入ってきた中で縄文の文化は日本の国土から排斥され追いやられ消え去って行ったんじゃないでしょうか。稲作を持ち込んだ民族と、稲作を取り入れなかったアテルイ・ヒタカミの東北の民。やっぱり民族的な価値観の違いというのは非常に大きいと思います。
結果的にはそうして主流を占めた、悪く言うと征服、統一してしまったという流れが、この日本の歴史と国土文化の中に有ると思うんです。
___縄文を調べて行くとそういう話に行き着きますね。「そもそも日本とは何ぞや?」と。
まぁ、そういうことになってしまうんですけど…。
ただ『古事記』の国譲りの話を見ても分かるように、日本はそのように戦って抵抗するのではなくて受け入れて和合して行ったという側面もあったと思うんですよね。「縄文」というのは歴史では表向き消え去っているように見えるんですけれど、根底には和合の中で生き続けているのではないでしょうか。
土偶と里山
___土偶が発掘された家系にお生まれになって、小宮さんにとって「縄文」とはどんなものなのでしょうか?
家に土偶が出たことを、小学校時代は不気味な物として捉えていました。ずっと家の中にあったのでちょっと怖いイメージがあったんです。造形的にも何か呪術的な感じで、実際に幼児の骨も入っていたことを子供の頃から知っていましたから。
長じて20歳以後になって、特に知り合いの芸術家の皆さんが本物の土偶を見たときに本当に感動されて。その姿を見て「あぁ、ここは、、」とあらためて自分のルーツやこの土地の個性を感じるようになりました。自分は貴重な所に生まれたんだなぁ、と人によって気づかされたと言うか。
___土偶は重要文化財に指定されているそうですね?
そうなんです。
ちょっと調べましたら、今国宝は4点、重要文化財が16点、合わせて20点しかない中で自宅保存は2点だけなんです。
若い頃は「早く博物館に預けてしまえばいいんじゃないか」と思っていたんです。その方がみんなが見れると思っていましたから。
最近は、土偶の見学会を実家でやることで、出土した場所に直接足を踏み込んでいただいて見てもらっています。土偶が出土した2400年前の里山も眺める、そしてその遥か向こうに海が見える。晴れると伊豆七島のうち3つ4つ見えましてね。これは贅沢と言うんですか、究極であるなと思います。2400年前に生きていた人の雰囲気とか空気、息吹というのが、出土地点に立つと何となく感じられるんですよね。
それで、見たい人が見る物かなという思いも大分出てきました。皆さん色々な感想が有りますけど、これもこれでいいのかなと。
___この辺りはすごい土地だったんですね。
2400年前っていうと、日本全国で7〜9万人くらいだったんですよ。住んでない所には全然住んでいない中で、この辺だと秦野の出雲大社がある平沢と、うちの実家がある所くらいだったんですね。人々が住みたいから住んでいたという土地だったんでしょうね。
風水においても良い場所だったのでしょうけど、海はもう少し近かったと思いますし、選んで住んでいたというのは凄いことです。戦さがあったり権謀術数が渦巻いた土地って、それはそれで感じるじゃないですか。うちは比較的そういうのがあまり感じられない。長く人が住んでいる村だと思うんですね。
それは、辿って行くとやっぱり「縄文」の価値観、人々の暮らしの思い、平和、そういうものに行き着いてしまうと思うんですよね。
___土地が平和だから平和に暮らしたのでしょうか?人々が平和だったから平和な土地なのでしょうか?
それは鶏と卵みたいなものだと思うんですけれど、両方あると思うんです。
2400年前をピンポイントでみますと、その当時の人は宇宙的なスケールの視野を持ちながら、土地に対する感受性、イヤシロチという言葉が有りますけれど、そういうものを感受する能力が長けていたのではないかと思います。そういう感受性で住む場所を決めていたと思うんです。
___そういう感覚は呼び戻せるでしょうか?
現代社会のこの早い流れだと忘れてしまいがちだと思うんですけど、例えばうちの村でもイヤシロチと言われる神社とかにゆっくり足を踏み入れた時に思い出すんじゃないかと思うんです。
やっぱり日本人には縄文的な和合の価値観が眠っている気がしています。
(つづく)
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#1 You're Always There For Me / Choro Azul
#2 My Boat / Melissa Laveaux
#3 Ventilador Rumba-80 / Ojos de Brujo
#4 嘉徳なべ加那節 / 朝崎郁恵
#5 Moon River / Cassandra Willson
#6 Ushasu / Bali
#7 緑の風景 / 渡辺貞夫
#2 My Boat / Melissa Laveaux
#3 Ventilador Rumba-80 / Ojos de Brujo
#4 嘉徳なべ加那節 / 朝崎郁恵
#5 Moon River / Cassandra Willson
#6 Ushasu / Bali
#7 緑の風景 / 渡辺貞夫
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[コラム]
ちょっと前から、特に311の後、
「縄文」ということがジワジワとブームのようなことになっています。
それは、ただ自分探しや流行ということではなくて、
今の時代の閉塞感をブレイクするための武器を求めてのことではないかと感じています。
「知恵」という武器 = 縄文の叡智。
そもそも日本の社会はいつから始まったのかと掘り下げて行くと、
大和朝廷のルーツは弥生時代にまで遡り、その前はもう「縄文」しかありません。
このことを言い換えて極論するなら、
日本の歴史は縄文と縄文以後しかないということになるでしょう。
さて、
「弥生」が日本にもたらしたものは大きく5つあるとされています。
稲作。戦争。上下関係。伝染病。犬食い。
稲作を行うには共同体が不可欠ですから、組織が出来て上下関係が生じます。
そして、稲作に限らず農耕は土地に線を引くことになりますから、
出来たものの蓄えが集落ごとの格差となって争いのタネとなります。
また、
縄文の遺跡において犬は埋葬されたであろう形で出土するのに対して、
弥生期以降は足だけが発掘されるなど、調理され食された痕跡を伺わせます。
つまり「弥生」という文化は、
もともとの縄文日本には無い、外から入って来た違う文化であると言えるでしょう。
一方で、
「弥生」に無くて「縄文」にあったものを上げるとすれば、
平和、共生、自律、多様性、宇宙意識、といったキーワードを並べることが出来ます。
多様な個性が争うこと無く共生していた多次元的な社会。
今となっては想像するしかありませんが、
そうした縄文的理想郷のイメージこそ、私たちがこれから築くべき社会を示唆するように思えてなりません。(モトカ)
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