2014/09/30

もしもお金がオーガニックだったら、君は愛をただ愛とだけ交換できるのだ。

先週に引き続き、経済思想家の山口揚平さんをお迎えして羽ラジ的貨幣論をお届けします。

〜 山口揚平さん プロフィール 〜
大手コンサルティング会社でM&Aに従事し、カネボウやダイエーなどの企業再生に携わった後、独立・起業。
経済思想家。起業家。ブルー・マーリン・パートナーズ株式会社代表取締役。
現在、東京大学大学院生として専門の貨幣論を研究をしながら執筆、大学講師、講演など精力的に活動なさっています。
最近ではロボットによる月面探査に挑戦する、日本初の民間宇宙開発チーム『ハクト』に財務担当として参加。
ますます今後の活動から目が離せない方です。



「お金」はなくなるか?



モトカ:

 これからの「貨幣」はどうなっていくと思われますか?  


山口:
 3つ論点があると思います。 
 1つは、紙のお金とか現物のコインはどうなるのか?これは、無くなっちゃいますよね。
 今もう97%くらいのお金が電子化されていて、SUICAなどの電子マネーでピッとやったりクレジットカードで決済したりしている。そう言う意味で、いわゆるカラダで感知出来る3次元的なお金っていうのは無くなっていきます。だからますますお金に関して観念的になってくる。
 営業系の会社ではモチベーションを上げるために給料袋を渡したりしてますけど、これは結構大きい問題だと思うんです。お金の動きが早くなちゃうから。
 手紙とか電話でビジネスやってた時代と、今の電子メールでやっている時代では、生産性が上がったかと言うと上がってなくて、コミュニケーションコスト、情報のノイズが増えているんです。だからお金の動きが速くなっても幸せにはなれないんですよね。

 2つ目の論点は貨幣は国家を越えるかというのがポイントです。
 お金とは価値と信用を数字にしたものでですけれども、信用の土台っていうのは60年前に金本位制というものからいわゆる中央銀行制度に変わって国家がお金の信用を担保するっていうシステムになっている状態ですが、今はそれが無くなって来ていて、最近は無国籍通貨。ビットコインを中心として楽天ポイントとかイオンやTSUTAYAのポイントとか膨大なものが出て来ている。「ブロックチェーン型コイン」と言って、信用の土台が非常に堅固なセキュリティーがありますよということで価値と信用を担保している。これは国家を越えた企業体が発行している。多国籍企業が発行する貨幣の方が国家よりも強くなると、貨幣システムだけじゃなくて僕らの文化とか社会的価値観とか、あるいはヒエラルキーとかそういうものが全部変わってくる訳です。
 僕らの時代は「ネイションステート/ 国民国家」を中心にあらゆる法律、教育、文化、戦争の土台、宗教の土台が作られて来た訳だけど、何処の国に住んでいるとか何処の国に所属しているとかってあんまり関係なくなってくるんですよね。これは歴史的、文化的、文脈の問題が有るんだけれど、いずれにしても今21世紀、国民国家というものが波状してきている訳です。

 3つ目は、人類は貨幣を超えるか?っていうテーマです。要は、もう「貨幣」じゃないよねってこと。人類のコミュニケーションツールが貨幣じゃなくなるっていうすごく大きなテーマ。
 さっき言ったように貨幣の本質というのは「数字」です。例えば、インディアンと植民して来たイギリス人達がマンハッタンの土地を100ドルで売りましたとか、その頃からあらゆる民族がコミュニケーションできる「数字」という最強言語を果たして人類は克服するのか。つまり人類は「数字」を使わないでコミュニケーションできるのか?っていうことなんです。 


リエ:
 へー!してみたいですね^^


縦のお金 と 横のお金



モトカ:
 ドゥルーズ・ガタリは「貨幣は税から生まれた」と言っています。つまり、貨幣は交換よりも富を吸い上げることの方に密接に結びついている、と。
 要は信用を担保するものの背景に何があるのかということはとても重要だろうと思うんです。今の通貨は国家権力によって担保されている訳で、それが税から生まれたとするなら、有機経済、交換経済、実態経済がどんなに発展普及したとしところで結局は税金を納めなければいけない。そうした現実的なテーマに対して何かアイデアはございますか? 


山口:
 「税とは何か?」ってことだと思うんです。 
 世界は「縦の世界」と「横の世界」があるんです。共同体の中にヒエラルキーをつくって下からお金や労働力を吸い上げて、上から偉い人がそれを流すことによってインフラを作ったり社会保障をしたりする。これが「縦」の社会システムですよね。
 もう一方で「横の世界」っていうのがあって、ネットワークでみんなが繋がっている。今のインターネットの世界ではそれがとてもフィットしていて、必要なところで必要な資源を手を上げて調達する。「俺のとこ野菜が無い!」って言うと、その人の持っているクレジットやレピュテーションに合わせて野菜が届く。必要な時に横で「アロケーション / 分配」するっていう方法に変わって来ていると言っても間違いありません。クラウドファンディングやスマートグリッドの考え方ですよね。
 税が貨幣の本質だとするならば、それは縦社会において必要なコミュニケーションの在り方だけど、横社会っていうのでは、必ずしもお金じゃなくてもう一つのエネルギーの凝縮言語である「インディビジュアル」にエネルギーを貯めるという方向で社会を作ることも出来ると言えると思うんですよね。 


お金と暴力



モトカ:
 ここは重要なポイントだと思っているのですが、「縦の社会」で私たちは税を払わない自由を持っていない訳です。極論すれば、私たちは国家による合法的な暴力に屈服せざるを得ないということです。こうした「お金の暴力性」に対して、私たちはどう抗えばいいのかというアイデアは必要だと思うんです。 


山口:
 共同体の中では「秩序」というものが常に必要で、「暴力」はそのひとつの手段です。共同体全員の幸福の総数は秩序がある時と無い時と比べると、秩序がある時の方が幸福の総量が多いんじゃないかというところから暴力は正当化されるし、それによって税を取るということが正当化されるっていうことだと思うんですよね。
 アメリカのドルが強いのは軍事力を持っているからです。中国が元を刷れるのは人口を持っているからですよね。貨幣を発行するにはその前提となる何らかのパワーが必要で、貨幣はエネルギーと不可分だいうことは間違いないと思います。
 では暴力とは何か? 秩序とは何か?っていうことです。暴力とは、肉体的あるいは精神的にその人の可能性を破壊していくこと、その人の自由度を奪うことですよね。これは抽象的な考え方としては「エントロピー / 散逸構造」といって物理法則なんですよ。僕らの思考とか概念とか想念とか、物を作りたいとか形にしたい、お金を増やしたい、これは全部エントロピーの話なんです。エントロピーが拡大するのは仕方がないんです。
 エントロピーの逆はネゲントロピー (negentropy)っていうんですが、僕らのカラダがぐちゃぐちゃにならずに生命を維持しているのはネゲントロピーという引き算のパワーが働いているからなんですね。
 何が言いたいかというと、僕らが学ぶべきなのはネゲントロピー、要するにエントロピーという外に広がっていくパワーを減らす、デトックスするという作業を個人がやって行かなければならない。それが、僕らが「数字」を超えるための唯一の解決策だと思っているんです。 


アートはビジネスにならない



モトカ:
 ということは、新しいシステムを構築すること以上に、経済社会を構成する私たち一人一人の意識の転換が求められている? 


山口:
 そうですね。
 非経済なもの、より本質的なものに対する社会的な理解を高めるような社会システム、小さく言えば教育システムだと思いますけど、それ以外のどのような3次元的なエコシステムも何らそれに資するものではないと思っています。
 たとえば、殆どのアートビジネスってプロダクトビジネス、あるいはブランドビジネスであってアートビジネスではないんですよね。アートって言語化できないものだから、複製可能なプロダクトに変換している。その時点で本質は削ぎ落とされているわけ。そういう意味ではリニアモーターを作ろうが量子コンピューターを作ろうがロケットエンジンの開発をして月に行こうが、それは何らエントロピーの減少や世界平和に繋がるものではない。
 本質論として、僕らは知覚のセンスを高めることです。知覚の世界っていうのは当然言語化出来ません。従ってそこでは貨幣経済が通用しないんです。それはもう教育というか啓蒙というかリテラシーだと思っていて、そういうことによって僕らは貨幣を克服していくしかないわけなんです。体験的に知覚して、そこを高めていくことでしかない。日経ビジネスを読んでもエントロピーを拡大する方法しか教えてくれないですよ。
 「プロフェッショナル」っていう言葉は、14世紀に医者と弁護士がその言葉の意味を占めることになったんだけど、もともと情報の非対称性があって患者が知らなくての自分は知っているとお金がいくらでもとれてしまうんです。それをお金に換えてはいけませんよ、ということで職業倫理が生まれた。彼らが何をして来たかって言うと、エゴデトックス。儲けたい欲望を自分の知覚のなかで解消していくことをやらされる。これはあらゆるプロフェッショナルに言えることなんですよね。師匠に学ぶ訳ですよ。だから仕事には師匠がいて弟子がいる、メンターシステムっていうのが必要なんですよ。


モトカ:
 今おっしゃったような縦のシステムと横のシステムは、両立するのでしょうか? それとも横のシステムが縦のシステムを凌駕して行くべきだとお考えでしょうか?


山口:
 うーーん。。。まぁ感覚でいうと、オルタナティブというものはクリティカルマスを超えないんですよ。18%を超えない。だから全体の83%以上は貨幣経済がこれからも続くし、人類はそういった意味で「数字」を完全には克服しない。「数字」が無くなることは無いということですね。従って貨幣が無くなることは無い。貨幣を何処が発行するかわからないけれど、人類が最強言語であるお金を使い続けることは間違いないです。


人はネットワークで生きる



モトカ:
 ということは、幾つかの経済システムが並列しながら展開していくような社会をイメージなさっている? 


山口:
 そうですね。
 ただ、いずれどこかの時点で幸福度調査をしたくって。いわゆる貨幣経済と非貨幣経済の幸福度とか自殺率を客観的に計って、要するに有機野菜がカラダに良いように非貨幣経済がカラダに良いということを検証するっていうが僕の研究のテーマですね。 


モトカ:
 幸福って多様ですから、それをどうデザインするかは難しそうです。


山口:
 確かに、幸福は難しいですねw
 まぁただ今って自殺とか多いですけど、殆どの死因、福島の被災地で避難所の中で病気で死ぬんじゃないんですよ。人は病気とかタバコとか酒とかで死ぬんじゃなくてネットワークで死ぬんですよ。要するに孤独で死ぬんです。だから翻っていかに有機性が幸福に影響を与えているのかが分かっていますよね。


リエ:
 やっぱり、ふわふわしながら農業とかコミュニティーの中で助け合いの経済を回そうという若者達にとって、お金の実態を教えてくれるって大事だとおもうんですよ。お金にはそんな本質があったんだって分かれば、またM&Aに進む人がいるかもしれない、横の繫がりの方をやっぱりやりたいと思う人はやったらいい。ニュートラルになりたいですね。


山口:
 二つ必要ですよね。
 本当に僕が提案したいのは「時間主義」と言っているんですけれど、最終的には時間が通貨になると思っているんです。時間って有限ですから時間効率を上げるしかしかない。ということは自分の時間価値を上げる方が良い。それだけは計算した方が良いと思う。クレジットのかけ算なんです。
 もう1つは健康投資。これにはお金がかかる。本質的にプロフェッショナルに生きている人って、お金が有るか無いかでやることは変わらないんです、タクシーに乗るぐらいなんですw
 自分がコントロール出来る時間がどれだけあるかっていうことが今の時代は一番必要なんです。そのあとの時間を横社会に振り分ける。それがコツかなって思っています。



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  #1 Money Changes Everything / Cyndi Lauper featuring Adam Lazzara

#2 Money In the Meter / Bing Ji Ling
#3 It's Nice to Have Money / DJ Smash
#4 You Never Give Me Your Money / The Beatles
#5 Money In The Rhymebook / Think Twice feat. Coates
#6 Fuck Money / Dela
#7 When Your Life Was Low / Joe Sample feat. Lalah Hathaway



羽ラジ

2014/09/23

『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』

今週は、経済思想家の山口揚平さんをお迎えして羽ラジ的貨幣論をお届けします。

〜 山口揚平さん プロフィール 〜
大手コンサルティング会社でM&Aに従事し、カネボウやダイエーなどの企業再生に携わった後、独立・起業。
経済思想家。起業家。ブルー・マーリン・パートナーズ株式会社代表取締役。
現在、東京大学大学院生として専門の貨幣論を研究をしながら執筆、大学講師、講演など精力的に活動なさっています。
最近ではロボットによる月面探査に挑戦する、日本初の民間宇宙開発チーム『ハクト』に財務担当として参加。
ますます今後の活動から目が離せない方です。



アートとビジネスを繫ぐもの



モトカ:

 なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』というタイトルは計算されていますね。タイトル自体が素晴らしいコピーになっています。


山口:
 貨幣論はずっと研究していて、僕の友達で『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の担当者だった加藤さんっていうヒットメーカーがいるんですけど、彼が「これはいい本なのでタイトルを練りましょう」って言ってくれて、それでこういうタイトルになってんです。
 でも芸術の本だと思って買われた方が、貨幣論の本だったから騙された的なコメントがアマゾンとかにあったりする。(笑)


モトカ:
 私はこのタイトルにはどんな人に読んでもらいたいかっていうことも含まれていると思ったんですけどねぇ。
 ゴッホやピカソはアーティストですから、これから世に出ようとしている若きアーティストたちに向けてのマネタイズ指南の本だ、って私はピンと来たんですね。



山口:
 本当にそこが21世紀の論点だと思っているんです。
 いわゆる「アートの世界」と「ビジネスの世界」があって、「アートの世界」は無理数、要するに分解出来ない主観的な、非言語の、イメージの世界ですよね。「ビジネスの世界」は整数、分解して理解出来て、言語化出来る客観の世界。二つの世界を繋ぐには「デザイン」ということが鍵になっていて、一番難しい所だと思うんです。 
 みんな主観の世界で好きなことをやって生きて行きたいんですよね、それは自分だけが分かる世界で非経済。そして客観の世界は誰もが分かる数字と論理の、言葉で理解できる世界。ここはコミュニケーションが出来る世界なので、両方をどう繋げるか、本当に繋げられるのかっていうのが、今日お話する貨幣論でも一番難しいんですよね。



「お金」という言語



モトカ:
 著書では「お金のピラミッド」という図で示してらっしゃいます。「使命が転じて価値となり、価値が変じてお金になる」と。
 これはアーティストに限らず、自分なりの表現をしていくにあたっての内的衝動として「使命」にフォーカスせよという、とても勇気づけられる提案ですね。


山口:
 経済学の歴史を追っていくと16世紀カルヴァン派に遡って、プロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神に引き継がれていく考え方なんです。
 もともと人とは「神の触媒」であり「透明なメディア」である。神の魂の意図を顕在化させるためのメディアとして自分を見てゆくんです。そうすると、物質の最終形として最もヴィヴィッドな形が「お金」なんですよ。お金っていうのは顕在化された物質の王様。「顕在化」っていうのは誰もが分かるってことなんです。  
 じゃあ「お金ってなんですか?」っていうと、お金は「価値」と「信用」を数字にしたものなんです。もっと単純に言ったら「数字」なんですね。
 じゃあ数字って何かというと、世界80億人の誰もが出来る「言語」なんですよ。 


リエ:
 言語なんですか! 


山口:
 最強言語なんです。誰もが理解できる言語。
 だから資本主義が共産主義に勝ったのは当然で、世界が一つになるには、誰もが理解できる数字=お金で「コミュニケーション」しようということになったんです。お金でのコミュニケーションは、より多くの人とコミュニケーション出来る。100万円は100万円ですから、誤解が発生しない。一番摩擦がないんです。
 だから男女の別れは最後お金で決着付けるわけですよねw


リエ:
 あははは!!!なるほど!


山口:
 ただし、お金っていう言語は「ローコンテクスト」と言って物語を伝えることが難しいんですね。例えば100万円あったととして、その100万円がどういう風に出来たのか?東北の復興で全部流された漁業組合がホタテの栽培を3年かけてやり抜いて手にした100万円と、ちょっと上場株を買って3日で上がった100万円と、そこにはストーリー・コンテクストに違いがある。そう言う意味で数字というのは全くコンテクストを持てない言語なんです。これが資本主義の一番の弊害なんですね。
 よく格差が弊害だと言っていますが実はそうではなくて、コンテクストをもうぶった切るときにお金を使う訳ですよ。いやこれは、本当に大事な事なんですよw 
 ビジネスって結局は早く回して、お金を作っていく訳でしょう?そういう時に、社員1万人の会社があったとしたら1万人の人々の想いをもとにやっていたら前に進まない。だからお給料っていう仕組みがあるんですね。ローコンテクストを使ってお金で回そうという訳なんです。



物語を売る



モトカ:
 お金はコミュニケーションツールであるということを書かれていますね。お金を媒体とした交換の中に「物語」を持ち込もう、と。 


山口:
 そうですね。お金はアミノ酸と一緒なので、何か別のものと結合しないと「価値」が生まれないと考えています。


モトカ:
 ピカソは新作が出来ると画商を何人も呼んで新作を見せながらそのストーリーを語る、というエピソードは面白いですね。


山口:
 そうそう。ピカソはまず絵をカバーで覆ったまま3時間だらだらとしゃべるんです、先に。絵を見せないで。まぁ、なんと言うか絵がうまい以上のビジネスの才能、コミュニケーションの才能があったわけですね。で、こういう物語で、こんな背景があって…としゃべった後に、おもむろにバサーーと覆いを取って絵を見せる。 
 そこには画商がいっぱい来ていて、「あいつが買うなら、俺も買う」と競わせる。するとどんどん絵の値段が上がる。値段が上がると「価値」が高いように見えるのでますます値段が上がる。

 

モトカ:
 要するにセルフプロデュースということでしょうか。


山口:
 そうですね。ピカソには画商が必要なかった。アトリエで売るのが一番「物語」を伝えられますからね。
 プロダクトじゃなくてプロセスを売るっていうのは、21世紀に重要なことです。物ではなくて物語を、プロダクトじゃなくてプロセスを売る。


モトカ:
 ピカソのエピソードでもう一つ面白いなと思ったのが、日常の買い物を全て小切手で支払ったとか。


山口:
 そうなんです。ピカソは自分に名声が有ることを知っていた。だから例えば乾物屋の親父でさえもピカソを知っている。
 小切手は銀行に持っていくとお金に換えられるんですが、ピカソのサインが入っている小切手だから銀行に持っていって変えるよりも家に飾っておこうと思う訳ですね。そうすると、ピカソとしては銀行に小切手が持込まれないから預金は引き落とされない。ってことはタダで手に入るということです。
 これは「評価経済」と言われていることなんです。マネタイズをしないでお金を手に入れる方法ですよね。要するにお金を使わないんですよ。実は「株」って評価経済なんです。株価が上がったり下がったりというのは、会社の「人気」が上がったり下がったりしているのを「価値」と言っている。
 いま僕らはfacebookで繋がってしまっていたり、食べログがあったり、つまり上場しているということなんです。『食べログ』ならぬ『人ログ』が出来ているんですね。僕なんか会う前にすぐ検索されてしまう訳ですよ。
 そうそう、google検索でサポート検索の言葉が出てくるじゃない? あれが怖くてさ(笑) あのgoogle先生に逆らったら生きていけない訳ですよ。もし離婚とかしようものなら「ヤマグチヨウヘイ 離婚」とかずっと出てくる訳w だから結婚出来ないのw



「お金」についての3ヶ条


モトカ:
 ピカソみたいに有名ではない私たちが、小切手にサインしただけで「価値」を生むようになるにはどうしたら良いと思いますか?


山口:
 僕も「アーティストのためのビジネスモデル講座」っていうのをやっているんですけど、今日もここまでに3つのことを言っています。
 1つ目は、物でなくて物語を。
 ピカソがやったようにプロセスを見せて背景を売る。例えばクラウドファンディングだって、物語にはお金を払って物は買わない。だからアーティストも、自分がなぜそれを描くのか原体験を分かりやすくストーリーにして説明していくということがとても重要。就活したくないって言うけれど、原点の棚卸というのをしなければならない。そのストーリーを分かち合いましょうということなんですね。ディズニーランドなどが良い例ですね。  

 2つ目は、お金をやっぱりもらわなければならない。マネタイズ。
 たとえば、絵を描く人がお金ないと絵の具買えないからね。僕芸大目指したんですけど、あれ、本当にお金かかるんですよね。
 で、これはいろんなもらい方があるんです。それをプロフィットモデルと言うんですが、これを沢山作らなければならない。お金を回すためには会員でもいいし、絵画教室でも撮影会でも似顔絵でもプログラミングでも、あるいはアイコンを作って上げるのもいいし、アプリ開発でもいいし、何でも良いの。自分がアートを描くことの周辺にプロフィットモデルを沢山作ること。

 一番重要なのは、お金っていうものにニュートラルでいること。 
 アーティストっていうのは基本的に自分の主観的な世界に住んでいるんです。僕もアート気質なのでよく分かるけど、それは非常に神聖なものなんですね。だからアートではなくてプロダクトの世界、言語化できる客観の世界が嫌いなんですよね。体育会系と文化系の戦いってかんじですね。リア充と非リアみたいな。分かれちゃってるんですよね。その「嫌悪感」というようなものに対して心の中で克服しなきゃならない。僕たちはカラダを持って生まれている以上、数字という最終言語をもって、自分の世界じゃない世界とコミュニケーションしなければならない。
 開き直りですかね。割り切りかな。これが3つ目。



お金儲けは才能か?


モトカ:
 さて、「価値」と「価格」とは必ずしも一致しないことが往々にしてあります。どのように説明できるでしょうか?


山口:
 「価値」と「価格」っていうのは、本質的に全くパラダイムが違う世界にあるんです。「価値」は個別・固有の瞬間美であって、決して言語化できないものなんです。
 だから「価値」と「価格」が一致することは無いと僕は思います。ま、瞬間的に一致することはあるけれど。
 

モトカ:
 とすると、「価格」とは何に対して設定しているのでしょう?


山口:
 「価格」はニーズの引力です。
 昔ラジオで福山雅治さんが言っていたんです。「成功するにはどうしたらいいですか?」「波に乗ることです」なるほどねー、と。 
 これは経営能力があるとかではなくて、社会・顧客の求めているものに対して主観を排除して淡々と客観的にやること。これが、お金を稼ぐ時には必要なんだと思います。

  

モトカ:
 「引力」ですかw
 やっぱり何らかの隠然たる「力」が存在しますよね。私のボキャブラリーで言うなら「呪力」というような力学。ピカソにしても、そういう魔術的な力で自分を演出したように思うんです。


山口:
 僕は学歴とか役に立たないと思っていて、ストリート・スマートと言うんですけれども現場で生きて行く力というのが大事で、やっぱり直感でそれをする人がいますよね。どういう方向に引力・重力が働いているかを良いタイミングで見抜いて、良い感じで控えている人。
 

モトカ:
 それは才能なのでしょうか? 


山口:
 才能と言うかは分からないけれども、「知覚力」と「効率的に遂行する力」の二つだと思っています。 
 どこにどういう気が溜まっているかを知覚する能力。これに関しては謙虚さと好奇心を持っていると磨かれるセンスだと思う。要するにオープンマインドってことだと思うけど、天性のものじゃなくて技術だと僕は思いますよ。
 ステップ・バイ・ステップで透明度を増して我を落とす。 結局は「自分とは何か?」っていうことの定義を少しづつ変えていくことなんだよね。そうして世界に関しての感度を増していく。
 95%の人は、自分が考えた結果が溜まった「記憶の結晶体」のことを自分だと思っているんです。そこにトラウマとかが溜まっていたりする。


リエ:
 記憶の結晶体...。


山口:
 「今、辛いな」とか「腹減ったー」っていう状態を自分だと思っている。でもね、それは違うんですよ。そうじゃなくて、考えること、感じることをやっている主体がいるということにどこかで気がつくんです。


リエ:
 主体がいるんだと...?


山口:
 その主体が感じた結果が、「腹減った」とか「気分が悪い」とか「俺ってダメだ」とか。それは思考の結果。
 つまり多くの人は、もわもわっとした火山の吹き出し口から出ている煙を自分だと思っている。吹き出している結果をね。だけど本当は吹き出し口を覗いて見ることが大事。映画でいえば、スクリーンじゃなくて映写機を見る。 


モトカ:
 ヨガ的な感覚ですね。主体を客観視して自己を内省すると言うか、今起きている出来事をありのまま感じきるっていうような。


山口:
 まさにそうですね! 
 僕のかつての上司はいつもニコニコしていて、最終的には出世して社長になるんですけど、彼女は何が違うかというと自分をコントロールできている訳です。自分が辛い時に、自分が辛い状況を俯瞰出来ている訳です。彼女は非常にクレバーな人でしたから、自分に出て来ている感情を認知していて、感情と意識が一体化してないんです。自分の意識や知覚の焦点はもっと裏側にあるから、今自分がどういう風に感じているかを客観的に把握できてるんです。これがすごいなーと思って。 
 それはビジネスマンとして最大の強さだと思う。コミュニケーションしやすいですよね。



「使命」について


モトカ:
 今の話にちょっと繋がるんですけど、自分が置かれている立場や環境において「今やるべきこと」というのは、往々にして「使命」と呼ぶべきものとは微妙にズレることがあります。


山口:
 うーん...。僕は、やることが自然な方を選択するようにしてる。絶対に罪悪感や義務感で動かない!
 なので、それ以外は捨てるw


リエ:
 つまり、開き直るということですか?ww 


山口:
 捨てたとたんに、自然に出てくるものがるんですよ。
 僕もできてないけれども「存在の肯定感」っていのを大切にして、自然な衝動に従っていく。その自然さっていうのは自分の知覚レベルで、それをすることが存在の意図に従うっていう感じなんですけど、これを出来るだけ選択していくのが良いんじゃないかと思っているんです。
 自己俯瞰することによって、感情とか思考のアウトプットが明らかになって客観視できるので、意識が奪われることが無い。意識を奪われて行うよりは、行動しないで自分の意識の焦点を存在の本質の一番近い所においておく。


リエ:
 削ぎ落としていくような感じですか?


山口:
 大きな意思決定だね。
 みんなが罪悪感とか同調欲求とか、ローコンテクストで行動したとするじゃない? そうすると、ハイコンテクストで行動する人が楽なんだよね。要するに社会にフリーライドしている訳、そういう人は。


モトカ:
 俯瞰して見たものはスタティックじゃないってことですね。動的な流れがあって、その潮目にあるものを見ていくことが大切なんでしょうね。 


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  #1 SOLID SLIDER / 山下達郎
#2 Bop-Be / Keith Jarrett
#3 Smooth Operator / Sade
#4 The Tea Leaf Prophecy / Herbie Hancock Feat. Joni Mitchell
#5 Caribbean Girl / Mario Basanov
#6 (You are) More Than Paradise / Port Of Notes
#7 Once I Loves / John Tropea
#8 Slippin' Into Darkness/ Marcus Miller
#9 A Thousand Years / Christina Perri
羽ラジ

2014/09/09

「蛇」

私が生まれる前から カラダの細胞に組み込まれている

感応のシステムがあるように感じている
 
私はこの色を見ると 理由も分からずとても うれしくなる・・・
私はあの声を聴くと 理由も分からず 寂しい気持ちになる・・・
 
私の細胞は こうやって見えない何かに感応して
私のカラダにアクセスして何かを思いださせようとしている
 
細胞レベルで感じている何かにを 刺激する出会いや、出来事に
何度も何度も 向き合い、ループするウロボロスの輪の時空間に
 
私は何を見つけようとしてるのかしら 
あなたと 何を見つけようとしているのかしら
 
命のプログラミングは今日もこれからも ずっと続いていく
(rie)

M) 
 ウロボロスって、メビウスの輪と似てるよね。

R)
 そうですね。絵的には似てると思います。ウロボロスは占星術の授業を受けてい時に出会ったんですけれど「尾を飲み込む蛇」の意味があります。一匹が自分の尾を食べている絵のタイプと、二匹の蛇がお互いの尾を食べ合って八の字になっている絵があるんです。王冠をかぶっていたり、いろんな象徴的意味が組み込まれているんですけど、何なんでしょうねww。

M)
 やっぱり昔ながらに宇宙の円環構造を理解していたんだろうね。 
 小さい部分をズームアップすればするほど宇宙の一番外側につながるような感覚って、メビウスの輪を見ていても感じる。

R)
 メビウスもウロボロスも、終わりもスタートも無い全て繋がっている状態を表していると思うんですよね。その象徴として「蛇」を使っていることに興味があるんです。生と再生、不老不死とかね、そんなことも蛇を通して絵に込められているそうです。 

M)
 古今東西、蛇は神聖な動物として扱われていたりするものね。縄文の「蛇信仰」とかもそうだし、文明が土を覆ってしまう以前はもっと身近な存在だっただろうね。
 広島の土砂災害をみていても、被害に遭われた方は気の毒なんだけれども、古代の人の言い方をしたら「山の神様が怒った」っていう捉え方も出来るんだと思うのよね。「山の神様」って、日本の場合「蛇」だから。

R)
 それは、自然の中に生きていると分かってくることなんですかね?

M)
 調べてみると、一番の特徴は「脱皮」らしい。蛇は脱皮することによってピカピカに再生産されるけど、人間は脱皮が出来ないから朽ちていくって。

R)
 循環性、永続性、原始性、無限性、完全性などを意味するそうですね。

M)
 その辺のイメージと、蛇っていう生き物がリンクしたんだろうね。
 

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 東方から来た生命の種は神蛇の依代として男性に憑依し、女性と合体して中央の母の胎に胎児としておさまる。
 人の種は、元来、東から西へ動いてきたものである。だから、人の胎児は東から渡来した余勢を駆って、さらに西方に生まれ出よう。
 夕べごとに太陽は西へ落ちるが、それは翌朝、東に新生するためである。

[ ミソギ / 身殺ぎ ]
 身に着けたものを身から外し取ってゆくこと。おそらく蛇の脱皮の擬きであろう。
 神話の成文期にはすでに「ケガレ」の観念が確立し、祭式も整えられ、「御禊」の字があてられており、そこに見られるものは新生と脱皮の両面をかねた呪術である。
 蛇は脱皮によって生命を更新する。脱皮しなければ生存できないから、蛇は脱皮に全力を集中する。
[ カガミ / 蛇身・蛇目 ]
 「カガ」は「ヘビ」の古語。「カガミ」とは、蛇身を連想させるツタ植物の総称であり、脱皮によって更新された蛇目の呪力に満ちた輝きは「鏡」へと転じた。

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 縄文人の蛇への反応は、第一にその「形態」に対して、第二にその毒の「強さ」や「生命力の旺盛さ」に対してであって、それらは相乗効果をもって蛇を祖先神にまで崇めていったのである。
 弥生人のような稲作民族にとって、男根を連想させる形態をもつ蛇は、縄文人に勝るとも劣らない信仰の対象になっていたと思われる。男根 → 種神 
→ 蛇 → 稲の実りと続く連想はきわめて自然な筋道である。
 古代日本人にとって、すでに生命の源は男根から放射される精液中の微小な虫として捉えられていたに相違なく、「カガミ」の舟に乗って現世に顕現し国津神・大国主神に宿った少彦名神は種神・生命の源・精虫の象徴であって、その神格化ではなかったろうか。また、渦巻き状を呈する蛇のトグロを巻く姿は女性の象徴である陰門を想起させる。要するに、蛇は「性」そのものと言える。

[ ハフ / 這ふ ] [ イハフ / 祝ふ ]
 『古語拾遺』(807年)に「大蛇をハハといふ」とあるように、蛇の古語「カカ」は子音転換して「ハハ」に移行したのであろう。「ハフ虫の災い」といった表現が祝詞の中にも見られるように、「這う」に接頭語「イ」を伴った「祝う」の語源には蛇との関連性を充分に感じることが出来る。

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 ”蛇の生態の中でも、その脱皮ほど彼らに脅威の念を与えたものはなく、自らの殻から出てはこもり、こもっては出て生命の更新をはかるその脱皮の作用を通して、古代日本人は宇宙万象の輪廻転生の実相を把握したのではなかろうか。

 その結果、天象としては太陽の運行、地象としては植物の枯死再生をもすべて、こもりと顕現のくり返しであると観じ、このくり返しによってはじめて永生と新生が保証される、との認識を得たのである。
 この「こもりと顕現」の認識は中国哲学、陰陽五行思想の受け入れを容易にした。”
  〜『日本の蛇信仰』吉野裕子
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M)
 蛇の「脱皮」という生態から、陰陽までをも感じ取っていたんだね。 
 こうした原始信仰が土壌があったから、中国から来た陰陽五行説を受け入れやすかったということなんだろうね。 
 
R)
 蛇の脱皮から、よくそこまで想像しましたね日本人は! 

M)
 それだけ観察力があったというか、見立ての能力だよね。
 文献が残っているわけでもないかた、古代のひとたちの発想(頭の中身)をたどる術はないんだけれども、読み解けば読み解くほど腑に落ちちゃってしょうがない。

R)
 確かに!
 あらゆる世界に溢れている蛇についての事柄と、日本の蛇信仰と繋がりすぎますね。 

M)
 あれこれ調べていて思ったんだけで、私の猫好きは「蛇信仰」からきているのかも!
 だってヤツらもトグロ巻くでしょ〜?!  

R)
 巻くwww!! しっぽ巻いている!

M)
 それに、頭の形も蛇みたいじゃない! 

R)
 確かにちょっと三角形っぽいというか。 

M)
 目もギラギラしているし。 

R)
 してるー! 脱皮はしないけれどね。

M)
 毛が抜けるよw 

R)
 www! 

M)
 それでね、古代の人たちが受け取った蛇に「強さ」や「生命力」を感じたみたいに、そのネコ版は「自由さ」「しなやかさ」「勝手さ」とか。w
 それが現代における私なりの蛇信仰w 

R)
 蛇信仰にはまりまくりのモトカさんでしたw 

M)
 猫信仰ねw


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  #1 All Things Must Pass / 中納良恵+星野 源
#2 I Wish / Tok Tok Tok
#3 Hearts snd Bones / Paul Simon
#4 I Feel the Earth Move / リズ・ライト
#5 Imagine / Jack Johnson
#6 Will I Ever See Your Face Again / 畠山美由紀
#7 A Day For You / LOVE PSYCHEDELICO
羽ラジ

2014/09/02

雲を呼ばなくても雨は降る

先週につづき、真鶴「風にかえるアトリエ」伊東知子さんをゲストにお迎えしています。
伊東さんは、天然石を使ったオーダーのジュエリーをお客さまとのコラボレーションで作ることをなさっています。
その作業は、石を選んだりデザインを起こして行くプロセスを通して、
内面に潜むモノガタリをお互いに共有しながらカタチにして行くというユニークなアプローチです。



プロセスを信頼する

モトカ
 9/2からの東京銀座・彩波画廊での個展の案内を頂きました。「たまには限界越え、いいもんです」とありましたが?

知子
 真鶴にアトリエを持って14年。作品展も一定の雰囲気、私のスタイルが出来てきて、銀座はそうじゃない感じなんですね。そういう今までの私のやり方が通用しないこと、それが「限界越え」なんです。
 どちらかと言うと私は、作家性よりもその人に似合う、その人を立てるということが強いから、銀座で自己主張の強いものを提案しないとっていうのに抵抗があった。オーダーを受けて石を探したりとか、作るプロセスの中で受け取っていくメッセージが結果的にカタチになっていくとか、今回はそうじゃない感じ。
 そんなことやって何になるの?とか、今までにない気持ちが浮上して、それでも周りの準備が整っちゃって。(笑)
 新しい自分を発見しに行こうっていうことと、私がチャレンジする姿勢を見せて行くっていうのはアーチストとして生き様。生き様が作品みたいなところがあるから。


モトカ
 今回の作品づくりにはどんなテーマが?

知子
 今まではピンクとかレインボーとかあったんだけど、今回は「ジブンを出す」という感じで、逆にテーマが無いんです。なんか角が取れちゃって、こんなやわんやわんで銀座を歩いてる人が振り向くのかと思うけど、そうなっちゃった。(笑)
 でも「プロセスを信頼する」ということを大切にしているので、この収録を含めてどんな結果になるのか。たぶん予想を越えたものになるので、そこにチャレンジすることが今の私に必要なのかな。
 作品展という場は「オアシスづくり」なんです。それと「ツナガリをつくる」ということ。ハーキマーを宣伝しているのはジブンとのツナガリ、感情とのツナガリということだったんだけど、都会がそういうことを必要としているのかな?
 もし私に役目があるとしたら、銀座という都会に一週間そういう場をつくって、ある波動をつくってみる。そこに人がどう関わっていくかということはお任せで。



引き寄せのゴールド 知恵のパイライト


知子
 金(ゴールド)を使ったものを作っていて、金は女の人が輝いていくときに出るオーラなんだよね。

モトカ
 金と銀とは本来同等の価値だったようですね。金は留める力、銀は流す力というエネルギーの質の違いだけだった。それが原始コミュニティにおいて、必ずしもカリスマ性を持たない者が世襲してリーダーになるようになって、箔をつけるために金がふんだんに使われて銀に対しての価値が相対的に高まった。
 今回は銀座へ金を持ち込むということで、新しい解釈になりそうですね。

知子
 そうだね。
 シルバーが好きな方に、シルバーのエネルギーはもう充分持っているから今度は金を身に着けてみないって提案してたの。金は引き寄せの力。豊かになって行く。変なものを寄せにくくなる、輝くバリヤみたいなオーラの質を持つようになるんだよね。
 パイライトって一昨年くらい世界のいろんなところで大量に採掘されて、ものの本では知っていたけど本物を見たら「知恵」のエネルギー。もともと引き寄せのエネルギーでそれこそゴールドと絡むんだけど、採掘される場所によって場所のエネルギーとアートしてカタチが変わる。自分で丸くなって転がったり、石の性質とかけ離れていたりして、そこまで「知恵」って多様性があるのかっていうのがパイライトをみた時の衝撃だったのよね。この重さにも特徴があるんだけどパイライトのエネルギーは、人によっていろいろな引き寄せをする。それはゴールドよりももっと強い。丸く削られているパイライトって鏡みたいに自分が映るのよ。これもまさに「投影」。

モトカ
 特定の天然石があるとき大量に採掘されることはよるあることなんですか?

知子
 私が思うには、人間がその波動を理解する準備ができた時に地球が用意するっていう感じかも知れない。



怒りと投影


知子
 投影っていうことを理解すると、この世界を美しいと思えるってことは、自分を美しいと思っているっていうこと。ってことは、この世界が悲しみに満ちたものであると認識するということは、自分の或る部分に対してガッカリしていたりとか。愛以外のものは自己攻撃だから、どんな部分があっても、それも私であるっていう深い理解。どんな醜くくってもそれは私である。そうすると「怒り」になりにくい。

モトカ
 自分が完全ではないのにも関わらず社会の不完全さを批判する、ということですね。

知子
 そうそうそう。まだ地球は2歳になったばかりだし、ものすごく未熟。
 アメリカで事件があった時に、心理学者が「テロリストは自分の心の中にいる」って言って、怒りの火が燃え上がるのを鎮火した。

モトカ
 その言葉は、怒りの渦中にいる人には届くでしょうか?
 いや、どうしてこんなことを問うかと言えば、知子さんも私もそういう場面では声を掛ける側の役割なんだと思うんです。

知子
 笑えば良いんじゃない?(笑)
 解決しようとしないっていうのも一つの方法なんじゃないかな。
 投影っていうものを腑に落とすと、例えば一歩踏み出せない人と会って、その人がこう言っているっていうのは私のどういう面が投影されているんだろう?っていう見方をする。そうか、同じ心が自分の中にもあるよって、次は自分を許そうって思うわけよ。そうすると「チャレンジしてみました!」ってメールが来たりする。現実が変わるんだよ。
 自分が浄化されて行くと、「変わった方が良いんじゃない?」っていうアドバイスではなくなる。

モトカ
 お役目として寄添いつつも、そのことを通して私たち自身がそのテーマに直面させられているということですね。

知子
 そう。「癒し」っていうのは両者に出逢う意味がある。何かその時に相似形のところが出逢うタイミングを、お互いが引き寄せている。
 これって、受け取って行くだけなのかなって思う。前はアドバイスしようとか与えて行こうとか思っていたけど、今は自分も受け取る。

モトカ
 今の話を聞いて思い出した寓話があります。
 ある日照り続きの村にシャーマンが呼ばれて訪れたそうです。彼は村に着くなり祖末な小屋を用意させて、そこに籠ったきり三日三晩出て来なかった。村人が訝しがり始めた頃、ようやくシャーマンがスッキリした顔で外に出て来ると、なんと雨が降り出した。村人が「あなたは小屋で何をしていてのですか?」と聞くと、シャーマンは「自分を取り戻していたのです」と答えた、というお話。

知子
 自分の心の日照りの部分を何か感じてその村に行き着いたんだと思う。自分の心の有り様が、その村の現象として起きた。
 その見方だよね。自分の人生に責任を取るっていう。そういう見方でしかそういうことは起きない。雲を呼んでくれば良いとか、外を変えることではなくて。


知子
 なかなか世の中が変わって行かないっていうのは、「怒り」に対処する方法が社会に育っていない。

モトカ
 「悲しみ」に較べると、「怒り」はそれに身を任せた時の陶酔感のようなものがあるようにも感じます。「悲しみ」の痛みよりも「怒り」の陶酔感を選ぶというような。

知子
 それを選ぶ理由があるんだよね。選択してるってこと。その選択は変えられるけど、選択してるっていう意識がないし「あなたが怒らせるんでしょ」ってなる。

モトカ
 他人のせいにすれば自分は安全地帯に居られますものね。

知子
 自分が怒る全うな理由があるからそこに居座れる。そうして「被害者」を選ぶことになってしまう。そうすると弱者で、現実を変えるパワーを放棄するんだよ。すごくもったいない。クリエイティブではない。
 何かやらされている、となると自分の人生が苦痛になっていくよね。自分がクリエイトできるというパワーを取り戻すと見方が変わるし、選択が変わる。




 [伊東 知子 さん / プロフィール] 
神奈川県真鶴町『風にかえるアトリエ』にて、「目には見えないけど つながってる」をテーマにインスピレーション発信中。 

作品づくりの傍ら、各地で作品展を開催。創造的インスピレーションを活かして、アートワークセッションやヒーリングセッションも行う。
    (1965年) 信州・北アルプスの麓で生まれ育つ
    (1986年) アマチュア劇団入団。みんなでひとつのものを創り上げる喜びを知る
    (1990年~) インドへ渡り、染織を学ぶ
    (1994年) 文化庁芸術研修生として舞台衣裳を学び、舞台衣裳家として独立
    (1997年) 天然石や自然素材に魅了され、創作ジュエリーをつくり始める
     ビジョン心理学と出会い、「アート・ワークショップ」をライフワークとしてスタート
    (2001年) 神奈川県真鶴町に、『風にかえるアトリエ』オープン 

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  #1 Reason / Bonnie Pink

#2 Moving Alone / Nina Vidal
#3 Madras / 久保田真琴
#4 Little Green / Joni Mitchell
#5 San Andreas Fault / UA
#6 Running On The Sand From Somewhere To Anywhere / Calm Featuring Spiritual African Nova) 
羽ラジ