2014/07/22

平凡な覚醒についての小編

『ユーコの蒼い夜』 
#1 予感 
 寝室のナオトはもう寝息を、いつもながら平穏な重低音で、響か
せていたのでドアをそっと、閉めた。私は描きかけのデッサンをも
う一息で仕上げようとしている。足元をリリィが、白い尾を擦り寄
せながら通り過ぎ、窓に寄せた小さな棚の上、私の蒼い石に飛び乗
って丸くなった。夏至に近い満月は地球を最も近く周回し、今や日
付変更線を通り越し天頂を、過ぎて、西向きの私の窓辺に光線を下
ろしている。深い夜は好きだ。増幅された魂がゆらいでいる。この
宇宙はゆらぎから相転移して弾けて生まれた、その残響が今夜も聞
こえる。遠いのか、近いのか、内なのか外なのか、おそらくリリィ
もそれを聞いている。予感、とはそういう類のものなのだ。予感を
頼りに人は命を運び、作家は言葉を紡ぎ私は、線を引き色を乗せ画
を描く。朝までに下絵を仕上げて週明けのミーティングに、心を準
備しよう。編集者からの〆切はいつも期限の一週間前を指定してい
る、それはもちろん承知している。予感、の解読に十分な時間を私
は費やしたいのだ。原稿をスキャンする、電源が入らない。あぁま
たリリィだ。ケーブルを辿る私を素知らぬ顔でリリィが眺めている、
どうしてネコは愚にもつかないものばかり齧るのか。
 仕方がない、お月見がてらコンビニまで歩こう、FAXを送りに。
まだ起きているだろう担当者にメールをすると直ぐに了解と気さく
な返信が届いた、続けて鳴ったアラートはマリからのいつもの深夜
通信だった、新しいバンドでレコーディングするからイラストを添
えてくれないかと。マリはいつも私の予感を鋭敏に察知する。わか
ったよ、お月見しながら考えておくね。 
#2 輪郭 
 リリィが抱え込んだ蒼いペンダントヘッドを、取り上げて、胸に
結び、デッサンのファイルを抱えて私は部屋を出た。満月は高く君
臨し、輝度を保って建物の輪郭を極めている、レースのカーディガ
ン越しに風が湿度を忍ばせて夏の、予感がたちこめる。スニーカー
を久しぶりに履いた。装備は身軽に、ポーチをアミダに掛けて。あ
っ鍵を忘れた。マンションのエントランスはオートロックでナオト
を無粋に呼び起こすのは、酷だ、月の夜を楽しもう。
 私はいつも何かが、足りない。要するに私は自信がないのだ、い
や根拠のない自信ならある、ずっとそうだった。夜毎マリと語り明
かしたのはその不確かな自信をせめて、衝動に置き換えて手繰り寄
せようとする実験のような季節だった。マリは、歌い手で、私は絵
を描く。モノを生む為に我が身に宿される何か、について私たちは
いつも遠回りな方法で確かめ合っていた、私は、宿すことを怖いと
感じている、それを認めたくないのだけれど自分ではないモノを懐
胎する度に魂は異界へ、連れ去られるのだ、それは覚悟を私に突き
つける。月は足下に、陰を描かない、夜は私を安心させる。
 私の魂は輪郭が曖昧だから黒い声がときおり忍び寄る、今夜も、
神社を横切れば近いけれど足が向かない、街灯が暗いせいではない、
界を結ぶ隠然とした重力に私の何かが抗うのだ。広い空を求めて公
園まで足を伸ばしベンチに腰を下ろした。習慣のように携帯を開く、
つもりがポーチの中にそれが無い、やっ忘れた。満月は手放すのに
うってつけの日。うっかりが過ぎる自分を慰めよう。 
#3 衝動 
 蒼白い満月は左から3本目の梢へと傾きながらメタリックな雲の
ホワイトにドロップシャドウを施している、なんだかCGみたいだ私
なら鉛筆モードで、などと、妄想する癖を私は嫌いではない、物心
つくよりも先に描き始めていたことを誇りにすら思っている。見え
ているもの、とアリノママとは互いに異次元の国に住む。その橋渡
しなのだと思う、私にとって描くことは。
 タンッ、とベンチが小さく揺れて身構えた。ネコだった。精悍な
子だ。白く嫋やかなリリィに見慣れているからそう思うのだろうか、
モノクロの虎柄は斜辺の丸い直角三角形のシルエットで私を見つめ
ている、リリィのような目で。あぁそうなの?キミもこの蒼い石が
好きなの?当てもなくノートを広げスプーンのようなふたつの耳や
零れた星の軌跡のような髭や署名のように添えられた尻尾などをデ
ッサンする、いつだって唐突に脈絡もなく連想は線を結び像を描く、
そうだ私はいつも描いていた、なんでも何にでも、描きなぐってい
た。絶叫のような白い声がいつも突然訪れて、強大な力で、私を突
き流すのだ見知らぬ畔へ、連れ去られて呆然と、ここは何処なのか
私は誰なのか、描くことでせめて生の鼓動を確かめるのだった。衝
動、という語を大人になって知ったけれどその正体は今も知らない。
 ネコは不意に身構えて横顔を低く一点に集中させた。そうだきっ
と私はあんな目をしているんだ、外ではなく内へ向けて、口数の少
ないお絵描き好きという幻影のウラ側で獰猛な白い牙に、魘されて
いるのだ。
 何を見つけたの?行ってらっしゃい。ネコは暗闇を駆けて行った、
真直ぐに、全速力で、あの子には何が見えているんだろう。覚悟、
なのかも知れない、生きることは自分を拠り所にする以外に座標が
ないのだから。 
#4 瞑想 
 ネコは何かを咥えて戻ってきた。獲物を、わざわざ私の視界に運
んでチャラリと落とし、抱えるように丸くなった、誇らしげに。ち
ょっと何それ?誰かの鍵じゃない。数珠のような石がキーホルダー
に付いていた。見せて頂戴、と拾おうとすると再び咥えて歩き出す。
逃げるのかと思うと、そのまま芝生の縁でコチラを誘うようにふり
返っている。仕方がない付き合うかと腰を上げネコに従うと、植え
込みの向こう、平らかに開けた芝の中央あたり、蓮華座に座る人影
があってハッとした。いつからそこにいたのだろう。気配、を抑え
て私はその背中に見入った。神社の黒い結界とは対称的に、彼の瞑
想は蒼い月の下で繭のように守られた抱擁を、白く放っていた。雲
の影が彼を避けるように芝を渡った。もしかしたらこんな風に呼吸
だけにフォーカスされた楽園が私の中心にもあって、白い声を放射
しているのかも知れない。それは特別なことではなく彼もきっと、
あの声が聞こえているのだと思う。
 風が立って、瞑想の結界を破るようにネコが走った、対角に芝を
駆け抜け、中心の蓮華座に鍵を投下し、奇襲された男は左回りに体
を開いて滑らかにネコの軌跡を追った。その視線を導くように、最
初に戻って私の手前でネコは伏せた。通り雨のようなシークエンス
が去って、清められた沈黙が彼とネコと私を結んだ。彼は私の視線
に、驚かず、月を見上げた。さっきより湿度を宿した白い月だった。 
#5 邂逅 
 ただそれだけの出来事だった。彼の声もネコの寝所も私は、知ら
ない。一瞬の目配せだったけれど、同じ月を見上げたことをきっと
私は生まれ変わっても覚えているだろう。邂逅、とはこの宇宙を織
り成す無数の糸と糸の紡ぎ目なのだと思う。私たちはそれぞれに孤
独だけれども連鎖している、手探りだけれど、ときおり雷光が地平
を照らす瞬間があってそれを頼りに人は暗闇を走るのだ。
 コンビニで要を足して外へ出ると、空が光って、雨がぽつりと降
り出した。帰りは濡れても構わない、ナオトを起こそう。ユーコは
本当に雨女だなぁと笑うだろう。マリには勇気と出逢った話をしよ
う、どうせまたアバンチュールを逃したと呆れられるのだろうけど。 
(文 / モトカ)編集工学研究所 30破 アリス大賞受賞作品 
 

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  #1 I'd Rather Be High / David Bowie
#2 sea / Spangle call Lilli line
#3 Summer Gypsy / Nujabes
#4 You've Changed / Margot B.
#5 Open Arms / 樹里からん
#6 Screamadelica / Primal Scream
#7 This Could Be The Night / 山下達郎

羽ラジ

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